【写真6点】キュートな笑顔に釘付け、西村歩乃果の撮り下ろしショット
――約3年半活動して初センターということですが「ようやく」という感じですか?
西村 そもそも私、ラストアイドルに加入したのが一番最後だったんです。当時は美容師からヘアメイクになって、アーティストさんに同行して全国を回っていて、「ヘアメイクが生き甲斐だし、辞めることはないだろう」と思っていました。だから全然、アイドルになる気はなくて。(デビューに向けた2017年の)オーディションは、自分の力を試すためで「ここまで行けたんだ。自分の力量が分かったからもう良いや」って考えていました。だけど、加入するかしないかの締切の日に気持ちが変わって、加入させていただいたんです。ただ、1期生で2列に並ぶとしても、2列目の一番端にいたので、まさかそこからセンターに行ける日がくるなんて、という感じです。
――「美容師・ヘアメイクとして活動していた」というお話がありましたが心変わりしたのは、何がキッカケだったんですか?
西村 ラストアイドルのオーディションに受けていたことを、ヘアメイクの仕事で携わったアーティストさんに話す機会があったんです。そうしたら「ヘアメイクは40歳になってもできる。でもアイドルは若いうちしかできないし、絶対いまやっておいた方が良い」と言ってもらって。迷いもありましたけど、背中を押してもらって「アイドルやろう!」って一気に火がつきました。
――西村さんは明るいイメージがありますがアイドルになる前から、そのようなキャラクターだったんですか?
西村 いまでこそいっぱい笑うし喋りますけど、昔は笑わないし無口な子でした。
――変わったキッカケは何だったんですか?
西村 小3くらいから、親に「笑いなさい」って言われるようになって。それで気づいたら、ゲラになっていました(笑)。人前に出て何かをするのも好きじゃなかったんですけど、親が目立たせたがりやで。「合唱コンクールでは、ピアノの伴奏者をしなさい」って言われて、中1~高3まで、1年も欠かさずやりました。親がすごく厳しかったので、「親の敷いたレールの上を歩く」という感じでしたね。
――当時、反抗はしなかったんですか?
西村 初めての大きい反抗は、中学受験ですね。お姉ちゃんが中高一貫の女子校に通っていて、「あなたも行きなさい」と。でも私は女子校には行きたくなかったんです。虫が大好きだったり、ドッジボールとか体を動かすのが好きな男の子みたいな子だったんで、女子校は考えられなくて。なので小3から塾に行っていたんですが、勉強をせず廊下でドッジボールをしていました(笑)。
――ご両親からしたらとんでもない不良少女ですね(笑)。ただ、そこから美容師・ヘアメイクの道を選んだのは、どうしてですか?
西村 高校の文化祭のとき、友達にヘアアレンジをしてあげたら、とても喜んでもらえて。人を喜ばせて「ありがとう」って言ってもらえる仕事をしたいと思ったんです。あと当時、美容室に行くのが好きで、神奈川から原宿まで通って、2万とか、高校生にしては大金をかけてカラーをしてもらったりしていたんです。そこで美容師さんがすごいキラキラして見えて、「美容師になりたい」と思いました。
――紆余曲折を経てアイドルになって、家族はいまどんな反応ですか?
西村 「ずっとアイドル続けて欲しい」って、喜んでくれています。実は今回センターに決まったとき、しばらく親に言っていなくて。親はテレビで知って泣いていました。
【前半はこちら】ラストアイドル 西村歩乃果「良いお兄ちゃん的な存在」霜降り明星・せいやとのMV共演を振り返る
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