「★といえば……」。8月3日にFUNKY MONKEY BABY’Sのファンキー加藤が投稿した、そんな書き出しからはじまるツイートが彼のファンを困惑させる一方で、一部のプロレスマニアをニヤニヤさせている。


【写真】超レア! 時代も感じさせるW★INGの貴重なパンフレット【11点】

このツイートでは名前に★が入る有名人(つのだ★ひろ、ゴー★ジャスなど)に言及した上で「そして皆さん、ご存知」と前置きして、W★INGの名前を挙げている。

 だが、ほとんどのファンは「ご存知ではありません」「まったくわからないのですが……」と突然、飛び出したW★INGという単語に「?」の。そうなってしまうのも仕方がないだろう。W★INGとはディープなマニアが寵愛しているプロレス団体の名称であり、ライトなプロレスファンでも知らないような存在だからだ。

そして、このつぶやきには「この書籍ずっと待ってました」とファンキー加藤が『W★ING流れ星伝説』という新刊本を手にしている写真も添えられている。この本はW★INGの生誕30周年を記念して、週刊プロレス誌でW★ING担当記者を務めていた小島和宏(現在ではももいろクローバーZ公式記者として活躍中)が書き下ろしたもの。「炎、流血、五寸釘」という物騒なワードが表紙の帯に並んでいるが、この文言でプロレスを連想できるのも、またマニアだけだろう。

ファンキー加藤が「ずっと待ってました」というのは、W★INGに関する書籍が出版されるのは今回がはじめてだから。書籍だけではない。「Tシャツ界の悪童」ことハードコアチョコレートからは6月にW★INGとのコラボTシャツが一挙に3作品もリリース。また、かつてW★INGの名物社長だった茨城清志氏もメモリアルグッズを続々と販売しており、プロレス・格闘技フロアを大きく展開している書泉グランデ(神保町)、書泉ブックタワー(秋葉原)では「史上最強のデスマッチ伝説!!W★ING関連商品フェア」と銘打って、これらの商品を8月7日から9月5日まで一同に並べている。
 
今年の8月7日で設立から30周年を迎えるW★INGにプチブームが到来? ただ、この流れは誰かが音頭をとって進められたものではなく、それぞれが勝手に動いていたもの、だという。
本来であれば、後楽園ホールあたりで30周年記念興行を開催してもよさそうなものだが、その予定もない。

コロナ禍の影? いや、そうではないのだ。実はW★INGという団体はとっくに潰れてしまっているので、やりたくでもできない、というのが実情。かつての人気選手たちの多くもすでに引退してしまっており、同窓会的な大会もまず開催できない。

1991年8月7日に旗揚げしたW★INGは1994年3月13日の試合をもって、事実上の崩壊。その歴史はわずかに2年7カ月。どこからどう見ても短命の泡沫団体だが、その短い歴史の中で「W★INGフリークス」と呼ばれる熱狂的なファン層を生み出し、後楽園ホールにはいつも異様な熱気が漂っていた。
 
2年7カ月の歴史、といっても、そもそもは「世界格闘技連合W★ING」としてスタートした同団体はたったの3カ月で分裂。その団体名の通り、多くの格闘家を集めて発信したのだが、敵として立ちはだかったのは、当時、大仁田厚の宿命のライバルとしてその名を轟かせていた「極悪大王」ことミスター・ポーゴ。あくまでも格闘家としてプロレスラーと異種格闘技戦をおこなうつもりでいた選手たちは、旗揚げ戦からいきなりイスでボコボコにぶっ叩かれて大流血。闘いながら「なんなんだよ、コレ!」と憤っていたというから、もうスタートした段階で分裂は必至だった。

そして枝分かれするような形で生まれた「W★INGプロモーション」では格闘技色を完全排除。
のちに「ミスターデンジャー」と呼ばれるようになる松永光弘が後楽園ホールのバルコニーから決死の8メートルダイブを敢行したことでプロレスファンの度肝を抜き、そこからファイアーデスマッチ、五寸釘デスマッチと超過激な路線を突き進み、たくさんのファンを熱狂させた。
 
そんな団体がなんで2年7カ月で崩壊してしまったのか? その理由は『W★ING流れ星伝説』で詳細に描かれているが、ひとつの要因としてはテレビ中継がなかったことがあげられる。この時代、プロレス団体は地上波放送がなければ存続できない、というのが常識でジャイアント馬場の全日本プロレスが日本テレビアントニオ猪木の新日本プロレスがテレビ朝日、そして全日本女子プロレスがフジテレビで試合中継されていた。各団体はテレビ局から放映権料を得て、それが団体運営の大きな資金となっていたのだ。
 
W★INGは地上波での中継を実現することができなかった。いや、それ以前の問題として、あまりにも過激すぎてとても地上波では放送できなかったのだ! 前述したバルコニーダイブもそうだが、リング上で火炎噴射をして全身が燃えてしまったり……などということは消防法が厳しくなってしまった現在では、もはや再現不能。コンプライアンスなどという言葉がまったく浸透していなかった30年前だからこそできた試合形式ばかりだった。
 
そう、再現不能だからこそ、崩壊から27年経った今でも、ファンは当時のことを懐かしみ、いつまでも語り継がれているのだ。90年代初頭のカルチャーが『平成レトロ』として注目されるようになった昨今、まさにW★INGは「プロレス界の平成レトロ」として令和の世に再ブレイクしている、ということなのである。

一部のマニアにしか知られていない短命に終わったプロレス団体が、30年経ってもいまだに愛されているという現象は、まるで現代のおとぎ話。こんなめちゃくちゃで破天荒なプロレス団体が実在した、という事実を改めて確認してみると、昭和の空気が色濃く残っていた平成初期の独特の文化をより深く知ることができるかもしれない。つまりW★INGは令和の時代に再評価されてしかるべき「プロレス文化遺産」なのだ!

▽『W☆ING流れ星伝説 星屑たちのプロレス純情青春録』
著者 小島和宏
8月11日双葉社より発売

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