【写真】歳を重ねるごとに透明感を増す、後藤真希の撮り下ろしカット【10点】
【前編はこちら】後藤真希が語る10年ぶりの写真集「本当に出していいの? 今の私を撮っちゃうの?って思いました」
──後藤さんがモーニング娘。の一員としてデビューしたのが14歳のとき。そこから仕事に対する取り組み方の変化を伺いたいのですが。
後藤 10代のうちはとにかくずっとスケジュールに追われていたし、何がなんだかわかっていないようなところがありました。あの頃はルーティーンみたいなものもなく、ひたすら慌ただしく動いていた感覚なんですよ。そんな忙しすぎる毎日の中、たま~にだけど他のメンバーと一緒にお風呂へ行ったりするのが幸せだったなぁ。レコーディングを朝までやって、そのまま健康ランドみたいなところに行くんです。学生の修学旅行みたいにキャッキャとはしゃぐノリですよね。
──後藤さんが在籍していた時代のモーニング娘。は、文字通り国民的なグループでした。忙しさも尋常ではなかったはずです。
後藤 すごく覚えているのは、表参道の交差点に『LOVEマシーン』の看板がデーンと飾られていたこと。当時は事務所も表参道にあったから、駅を降りた瞬間に自分の顔が目に飛び込んできて「どういうことなの!?」って混乱したんですよね。ちょっと前まで自分は普通の中学生だったのに。他のメンバーは「オリコン1位だ!」とか泣いて喜んでいましたけど、私はそれがどれだけ価値のあるものかもわからずに口をポカーンとさせていました。
──「天下を獲ったぞ!」という感じでは決してなかった?
後藤 まったくなかったです。芸能界のことがわかるようになった今の感覚であの経験をしたら、喜びが爆発していたのかもしれないですけど。周りの人たちがうらやましがるほど、張本人の私は幸せを噛みしめていたわけではなかったんですよ。そんな大それたことをやっている実感もなかったですね。
──ただ、それもキャリアを重ねることで徐々に変わっていたはずです。
後藤 そうですね。モーニング娘。を卒業して20代に入ってからは自分のやりたい方向性がだんだん見えてきたんです。「こういう自分になりたい」というイメージがあって、そこに近づけるとうれしい……みたいな。ただやっぱり私1人ですべてを決めていたわけではなかったので、自分のイメージとズレることもあり、その葛藤もあったんです。
──そんなこともあったんですか。
後藤 う~ん、でもまぁ私は好きにやらせてもらっていたほうだと思いますよ。卒業ライブの段取りを詰めていても、スタッフさんから「最後、こういうふうに言ったらいいんじゃない?」とか提案されているのに「いや、そういうふうには言いたくないです」とか生意気に口答えしていましたし。まだ子供だったから物怖じしなかったんでしょうね。スタッフさんも顔面蒼白だったと思います(笑)。
──当時は『ASAYAN』(テレビ東京系)の密着もありましたし、つんく♂さんの独特なプロデュース手腕も注目されていました。
後藤 つんく♂さんに言われたことで覚えているのは、歌よりもダンスのことなんです。
──後藤さんのソロ活動は基本的にクールなR&B路線でしたし、それがエイベックスでもっとはっきり打ち出されるのかと考えていました。
後藤 そういう単純な話でもなかったんです。リリースはすべてシングルじゃなくてEPだったし、ソロ公演がなかなかできなかったり、作りたかったファンクラブも作れなかったですし……。自分の描いていたイメージと違い、モヤモヤした思いを抱えていたんです。それで一度すべてをリセットさせようと考え、休業に踏み切ったんです。休業期間中は完全に歌から離れていたし、普段は音楽を聴かないくらいでした。ただこの休業は歌手としてもプラスだった面は大きくて、若い頃から身についていた「歌い癖」みたいなものが取れたんですよ。
▽後藤真希
本人が「肩の力を抜いて、沢山笑って、とても楽しい撮影でした」と振り返る10年ぶりの写真集『ramus』(講談社)は11月29日(月)発売。11月28日(日)には大阪・Billbord Live OSAKAにて、12月5日(日)には神奈川・Billbord Live YOKOHAMAにて10年ぶりのソロライブも開催予定だ。5日(日)の公演はdtvにて生配信も決定している。
【後編はこちら】後藤真希に聞く「もしも子供がアイドルになりたいと言ったら?」