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【写真】語りかけるような眼差し、鞘師里保の撮りおろしカット【12点】
──ソロアーティストになって初めて公開された『LAZER』のMVやドキュメンタリー映画のトレイラーでは「一時はパフォーマンスすること自体をやめようと思っていた」という衝撃的な告白がありました。これは何らかの挫折が渡米中にあったということなのでしょうか?
鞘師 挫折……とは少し違うかもしれませんね。繰り返しになるんですけど、「自分は人前に立つべき人間ではないのではないか?」という考えがどうしても拭えなかったんですよ。これはアメリカに行ってから挫折したとかいう話ではなくて、そもそもモーニング娘。にいたときから感じていたことで。結局、そういった思いがあったからこそ卒業したわけですしね。これは私がこれまでの人生を通じて向き合ってきたテーマで、今も完全にその思いが消えたかというと決してそうではないのですが……。
──不思議なものですね。鞘師さんのように才能に満ちた方でも、そこまで自己肯定感が低いものですか。
鞘師 これはもう本当に根本的な性格じゃないかと(苦笑)。もともとどうしてそうやって考えるようになったかと言うと、パフォーマンスする立場になったことが大きかったとは思うんです。だけど考えた結果、たどり着いたのが「私って人としてどうなの?」という問題。アメリカに行く前の私は、自分の存在を否定し始めていたんですよね。少なくても今とは考え方がだいぶ違っていたのは確かです。
──何がきっかけで前向きになれたんですか?
鞘師 結局は同じ人間だから、ニューヨークに行ってもすぐには変われませんでした。でも徐々になんですけど、自分のことを真正面から見られるようになったんです。それまでの自分は、たぶん誰よりもアイドルを演じていた気がするんですよ。ここで言う「アイドル」とは「偶像」という意味。要するに自分じゃない誰かになろうと背伸びしていたんでしょうね。これは今になってようやく理解できることではあるんですけど。留学して違う環境に身を置いたことで、「自分を好きになる」というよりも「自分をきちんと認識できるようになった」ことが大きかったです。
──長いトンネルを抜け出したことで、前に進む覚悟ができた?
鞘師 自分の中で一番大きかったのは、こうした自分との向き合い方の部分でしたから。そこが一段落して、気持ちに余裕ができたことで、ようやく少し先が見えてきたんです。そこでようやく心に浮かんだのが、「やっぱり私は歌いたいし、踊りたい」というシンプルな気持ちでした。
──ファンの人はもちろんですが、鞘師さん自身もその気持ちが湧き出ることを待っていたわけですからね。
鞘師 そうなんですよ。だけどその頃の私は芸能界から完全に離れて生活していたものだから、具体的に何をどうすればいいのかがわからなくて(苦笑)。で、本当にここはラッキーだったんですけど、ちょうどそのタイミングで「一緒にやりませんか?」とか「ゲストとしてステージに立ってくれませんか?」みたいなお声掛けいただく機会が重なったんですよね。
──古巣・ハロプロの「ひなフェス」にゲスト出演したのが2019年3月のことでした。
鞘師 あのひなフェスにしても、もう少しでも早いタイミングでオファーいただいていたら絶対にお断りしていました。あのタイミングだから、よかったんです。正直言うと、最初にひなフェスのお話をいただいたときも悩んだんですよ。だけどそこで「あれ? 私、悩めるところまで復活できたんだ」という驚きがあったんですね。
──鞘師さんがひなフェスに登場したときは、地鳴りのような大歓声が起こりましたよね。「緊張して震える」と発言していましたが。
鞘師 めちゃくちゃ緊張はしましたね。それと同時に実感したのが、「私、ここにいると居心地がいいな」ということだったんです。なんだかすごくフィットした感覚があって。パズルの空いたピースに、自分自身がピタッとハマったような気持ちでした(笑)。
──あの幕張のステージが転機になった部分も大きかった?
鞘師 「この気持ちになれるんだったら、いけるかも」という手応えみたいなものがありました。それまでの悩みを「完全に払拭できた」とは言えないまでも、「払拭できかけている自分に気づいた」のが幕張でした。
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(取材・文/小野田衛)
▽鞘師里保(さやし・りほ)
1998年5月28日生まれ、広島県出身。モーニング娘。の“絶対的エース”として2015年12月までグループを牽引。
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