ソロ活動に加え近年はアンジュルム、つばきファクトリーJuice=Juiceなどアップフロント系アイドルに多数の楽曲を提供、アイドルファンから「兄貴」と慕われるなど、新たなファン層を獲得していたロックミュージシャン・中島卓偉。今年3月末に所属事務所・ジェイピィールームおよびアップフロントグループを退所し、新たな個人事務所を設立。
現在はロックミュージシャンとして活躍しながら代表取締役社長としても精力的に動き回り多忙を極めている。今回は中島卓偉に独立に至った心境に迫った──。(前中後編の前編)

──まずは独立、おめでとうございます。単刀直入にお伺いしますが、18年間もいたジェイピィールームおよびアップフロントグループをなぜ退所することになったんですか?

卓偉 ありがとうございます。正確に言うと、アップフロントの前の事務所に僕は10年いたんですよ。そこからアップフロントレーベルに所属して18年、マネジメント所属したのが12年前、そして今年の4月から独り立ちという流れになります。これはいろいろなところで言っていることなんですけど、今回はすごく円満な離れ方ができたんですね。役員の方々も含めて、お世話になったスタッフには自分から長文のメールを書かせていただきましたし、「頑張れよ」「これからも変わらず仕事ではつき合っていこう」と温かい声もかけていただきました。よく言われるんですよ。「揉めて誰かをブン殴ったんじゃないか?」とか「アイドルに手を出したんじゃないか?」とか(笑)。一切、そんなことないですから!

──そんな声もあるんですね(笑)。

卓偉 それで肝心の退所する理由というのはですね、特に不満があったというわけでもないんです。
だけど僕はもともと自分で曲を全部書き、自分で歌ってパフォーマンスをする人間だったので、そもそも大きい会社には向いていないというのもあったんです。これは本当に上層部にも「辞める理由は何だ?」と聞かれたので、「デカい会社が向いていないんですよ」ってはっきり言いました。大きな組織だとレスポンスの速度とかも変わってきますしね。

──風通しのよさからも円満なのは伝わってくるのですが、不満がないのなら現状維持で残っていてもいいのでは?

卓偉 実は前の事務所を辞めたタイミングでも独立しようと考えていたんですね。だけど、当時アイドル事務所として名を挙げていたアップフロント側から「アイドルもやってはいるけど、お前みたいなロックをやる人間も欲しい。一緒にやろう」と声をかけてもらえて。一方で僕の方も一度中に入ることで、アップフロントならではのやり方を学ぶことができるだろうという考えがあったので、これも何かの縁かなと思いまして所属した形なんです。

──なるほど。両者の思惑が一致したということですか。

卓偉 そう。実際にそのあと、僕はアイドルに楽曲提供するという以前では考えられない動きもできたわけですしね。だけど最初から分かってもいたんですよ、いつまでもここにはいられないだろうなって。
社長からも、冗談めかしてではあるけれど「来てくれることは大歓迎するけど、お前ここ絶対に向いていないよ」とか言われましたからね(笑)。「辞めたくなったら、一番最初に俺に言ってくれ」とも伝えられました。なので今回もいの一番でその社長に報告しに行きましたね。「何でこの時代に独立とか考えるんだ。でも、お前らしい。会社としては今後も変わらず全面協力するから」と。

──相思相愛の関係だったんですね。

卓偉 その社長は同じ福岡出身ということで可愛がってくれていたんですよ。ついでに言うと社長は“歴史好き”という共通の趣味があるものだから、よくメシとか連れていってもらって歴史の話を延々としていました(笑)。そういう面でも恵まれていたというか、自分にアップフロントは合っていたんだと思う。じゃなかったら18年もいなかっただろうし。

──今の音楽業界……特にライブを中心にしたロックに関しては、大手レコード会社と音楽事務所に所属することが必ずしも正解とは言えなくなっています。
CDが売れない時代なので、DIY的な活動を志向するバンドが増えて久しいですよね。

卓偉 事務所に所属するということは、メリットとデメリットの両面が当然あるわけですよ。たとえば例を挙げると新型コロナウイルス感染症の問題。僕はライブでずっとやってきた人間だから、ライブをやり続けるのが基本じゃないですか。2020年の3月に自分としては2枚目となるベスト盤(『BEST YOURS II 2010-2020 Double Decade』)を出したんですけど、「よし、ここから手売りでプロモーションしていくぞ」と意気込んでいたら感染症拡大の影響で軒並みライブが中止。もちろん大きな事務所だから、その間も面倒は見てくれるんですよ。でも、ずっとこの何もしない状態のまま過ごしていていいのかという葛藤はありました。男としてね。コロナ禍でも、アーティストによってはライブをやっていたわけじゃないですか。最終的に自己責任になるんだろうけど、自分のジャッジで。

──本当にそれぞれの裁量でしたよね。

卓偉 この2年、すべてのアーティストは自分の立ち位置を見つめ直さなくちゃいけなかったと思うんですよ。
そんな中、僕が活動をさせてほしいと言っても「いや会社としてはまだ動けない」という話になる。やっぱり大手事務所だから、全体の足並みを揃えることも大事になってくるんですよね。

──生死にも関わるデリケートな問題ですし、その考えも分かります。

卓偉 もちろん会社としては当然の考えですよ。でも僕だってボケーッと待っているわけにはいかないので、とりあえず曲を書きまくりましたけどね。すでにアルバム4枚分の曲が完成しています。そしてその出来上がった曲を聴いたとき、やっぱり僕はこれを演奏する人生じゃないとダメだと改めて思った。だって自分で歌いたいから書いたんだし、ファンの方に聴いてもらいたいから作ったわけじゃないですか。それができないってことは、書いた意味がないということなんですよ。今、自分は43歳。デビューして23年。曲のキーも下げずに歌ってきましたが、やれたとしても、あと半分くらいだと思うんですよね。


──「あと半分」とは?

卓偉 音楽人生が半分という意味です。ここから40年経ったら、84歳。もちろん医療技術だって進化するだろうし、ポール・マッカートニーやミック・ジャガーは80歳を過ぎても現役バリバリで歌っている。日本でも矢沢永吉さんを始め貫いている方もいらっしゃいます。だからあとは自分が体力をどこまで維持できるかという話になりますけれど。いずれにしても音楽人生の残り時間は限られているのに、いつまでも守られて指示を待っている人間じゃダメだと考えたんですよ。自分で形成していく人生にしなくちゃいけないと思った。まぁ家族もいるし大変なんですけどね(笑)。もともと僕はぬるま湯が向いていないし、安穏としていたら腐っていくばかり。人生一回こっきりなので、大変な方を選ぼうと思っています。

──いやあ、生き方がロックですよね。

卓偉 とはいえ、慣れないことの連続で毎日大変ですよ(笑)。
まず会社を登記して、そこから口座を作りに銀行へ行くわけです。自分が代表取締役だし、スタッフなんてほぼいないから、全部を自分でやるしかない。スーツを着ながら、いろいろな人に会って挨拶して……。

──えっ、そんなことまでしていたのですか!

卓偉 当然じゃないですか! そういうことを重ねていて思うのは、やっぱり人は見た目が9割……あの言葉って本当ですね。いろいろな社長の方が言っているけれど、人間って第一印象でほぼ決まりますよ。でも同時に人はギャップにも弱いから、「あんな見た目をしているけれど、意外にいい人」という方向で上手く転がるパターンもあるみたいですが。そうは言っても、やっぱりきちんとしていた方がいいですよね。それは本当に独立したことで思い知りました。

──普段のアーティストとしての卓偉さんのスタイルを考えると、スーツを着てきっちりして……というのがなかなか想像つきませんね(笑)。

卓偉 それも分かります(笑)。僕が言っているのは「人の目を見て話す」とか「きちんと挨拶をする」とか、そういった礼節の部分が主ですね。どんなに見た目がロックでも、人間としてきちんとした振る舞いができていたら人には好かれると思うんです。やっぱり父親としてもそうだし、小さくても組織の長になったんだから、それにふさわしい言動を心掛けないと。そこが今まで以上に重要になってくるはずなので、43歳にして襟を正しているところです。

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(取材・文/小野田衛)
▽中島卓偉(なかじま・たくい)
1978年10月19日生まれ。1999年にロックミュージシャンとしてデビュー。現在活動は23年目に突入している。2001年頃より楽曲提供を始め、ハロプロに提供した代表曲に『My Days for You』(作曲)、『大器晩成』(作詞・作曲)、『次の角を曲がれ』(作詞・作曲)、『就活センセーション』(作詞・作曲)など。
■公式サイト:http://takui.com/
■最新曲MV:http://takui.com/pages/movie/
■最新曲視聴:https://linkco.re/eRddQHf8
■Twitter:@takuinakajima
■ライヴ情報:7.10(日)東京 原宿RUIDO ◇ 8.13(土)東京 Veats Shibuya ◇ 8.14(日)大阪 OSAKA MUSE ◇ 8.17(水)名古屋 Electric LadyLand
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