【写真】真っ白ワンピースを着こなした塩地美澄 撮り下ろしカット【6点】
──上京してグラビア活動をするようになってから、お仕事は順調に増えていったんですか?
塩地 実はグラビアのお仕事がなかった期間が1年半くらいあるんです。「今はしゃべりで頑張れよ」という事務所からの愛情だったんじゃないかなと思っていましたが、当時はそれも難しくて、本当に大変でした。
──その期間はどんなことをされていたのでしょうか。
塩地 ありがたいことに給料制だったので、食べていけないわけではないんです。でも、自分でお仕事を作れているわけじゃないのに固定でお給料が入ってきていたから、甘えてしまっていたな、とも思うんです。もう少し勇気を出して、なにかアクションを起こすべきだったんじゃないかな、と。体型も維持できていなかったし、意識が足りていなかった。「このままずっと給料がもらえるわけない」とは自分でも思っていたので、1年半経ってやっと「次の段階に行こう」と考えて、「起業をしよう」と考えたんです。
──起業を。
塩地 今思うと絶対無理だったんですけどね。
──そんな経緯があったんですね。
塩地 塩地 業界を辞める覚悟だったけど、そういわれたら「もうちょっと頑張ってみようかな」と、しがみつかせてもらいました(笑)。
──起業への思いは?
塩地 今の事務所の社長にも起業の話はずっとしていて、OKはもらっているんです。全然具体的ではないんですが、父の死がきっかけで、シニア層に向けたビジネスをやりたいなと思っています。でもコロナ禍になってしまって、計算違いでした。歩合制になったので金銭面でもまた大変でしたが、今ではありがたいことに、グラビアで食べていけるくらいにはなりました。
──もともとはアナウンサーに憧れていたということでしたが、グラビア活動が増えていることに関してはご自身でどう感じていますか。
塩地 仕事の分量としては、アナウンサー業が5割を超えていたいなという理想はあります。けど、ライバルもいっぱいいるし、すごく厳しい業界じゃないですか。そんな中で自分の理想通りになるとはそもそも思っていないんです。今の状況にはすごく満足しているし、グラビアで良いお仕事をさせてもらって、テレビにも出させてもらっているのはほとんど理想に近いです。
──“2刀流”であるがゆえの苦労や、周囲の偏見などはありませんか?
塩地 最初の頃は、グラビアの方たちには「アナウンサーの肩書き利用して」って、アナウンサーの人には「そんなに肌を露出して」と思われているんじゃないかなと、自分で勝手に感じてしまっていました。でも今は、そうは思わないです。向き合う姿勢って伝わると思うんです。中途半端だったら「この領域には来てほしくない」と思われることもあるかもしれませんが、今は活動を続けてきた年数と向き合う姿勢で示すことができているのかなと思っています。
──稀有な存在だからこそ、悩みがあっても、相談相手を見つけることが難しい気もします。
塩地 お金のことも、結果が出せないことも、人間関係の悩みも、全部自分が一生懸命やっていれば解決できることだったので、悩んでいることを人に言ったことはあまりないかもしれません。苦労するのは自分でわかっていたことだから、ただの愚痴になってしまうなと思っていました。
──今後もグラビア活動は続けていきますか?
塩地 グラビアで食べていくことって、見てくれている方の声にお答えすることだと思うんです。たとえば結婚したり子どもを産んだりしても、美意識を保つきっかけにもなるお仕事なんですよね、グラビアって。自分が表現できて、刺激を与えられるのであればお仕事として成り立つと思うんです。今まで私は男性向けのグラビアが多くて、女性の方への訴求ができていなかったと思うので、将来も新たなフェーズでグラビアをやってみたいなという思いも漠然とあります。
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▽塩地美澄
元・秋田朝日放送の人気アナウンサーで、2014年からフリーで活動。現在はアナウンサーとしてだけではなく、バラエティ番組のほか、写真集を出すなどグラビア界からも熱い注目を集めている。