2022年2月24日に勃発した、ロシアによるウクライナ全面侵攻から3ヶ月が経つ。戦局が膠着する中、ロシア軍によるウクライナ住民への虐殺・民族浄化が明らかになり、プーチン政権への国際的批判は絶えない。
だがプーチン大統領の好戦性は今に始まったものではないと、このほど著した「プーチンの正体」(宝島社新書)でプーチン・ロシアの本質に迫ったのが軍事ジャーナリストの黒井文太郎氏だ。見過ごされてきたプーチン政権の本質と、彼の「仮面」を聞いた。(前後編の前編)

【関連写真】1970年、サンクトペテルブルクでのパーティー中に、クラスメートと踊るプーチン

――黒井さんは開戦前から、プーチンの危険性をSNSなどでも発信してきました。プーチンと彼の体制は突然豹変したものではなく、首相就任(1999年)の頃から着々と形成させていったものだと「プーチンの正体」でも指摘しています。

 私は1980年代から世界の安全保障をウォッチしてきましたが、ウラジーミル・プーチンのことを初めて知ったのは1998年、彼がロシア連邦保安庁(FSB)の長官に就任した頃です。当時彼は無名の官僚で、旧ソ連のKGB出身の若い人物、元スパイということでまずどんな人物なんだろう?というところから始まりました。

 翌年の1999年8月には首相になり、この時点でようやく次期大統領としてロシア国外から注目されるようになります。私も本格的に軍事雑誌の連載でプーチンのことを書き始めました。ただ、この頃の関心は彼のロシア国内での権力掌握と強権的手法などでした。

――2000年の大統領就任時点で47歳。ソ連崩壊後の混乱やエリツィン政権の腐敗を観てきたロシア国民にとっては、プーチンは若く期待できる指導者と思われたようです。

 既にプーチンは今につながる、目的のために犠牲を厭わない強引な手腕を発揮していました。
チェチェン紛争ではテロリスト掃討の名目でチェチェン共和国の民間人を虐殺し、敵対するオリガルヒ(新興財閥)を追放し、KGBの人脈を用いて政敵のプリマコフ派を追い落とすなどしていました。しかし、特にエリツィン・ファミリーの不正を追及しないと約束するなどしてエリツィン大統領の信用を得て、いわば猫をかぶってモスクワ中枢で権力を掴んだのです。

 それでも大国ソ連が消えてしまい、エリツィン政権下で社会の混乱を見てきたロシア人にとっては、彼が自分自身でアピールする”強い指導者“イメージは評価されました。

 オリガルヒの摘発でロシア国民から人気も出ました。実はもうその頃から国内では反プーチンのジャーナリストを暗殺するなど暗黒政治をやっていたのですが。

――プーチン政権の体質や行動原理はその頃から変わっていないようですね。

 プーチンの思想信条を作ったのはソ連共産党の支配体質と、冷戦終結後のロシアの混乱がもたらしたショックだと僕は考えます。ソ連で生まれKGBでも働いていたので、非合法な嘘や殺戮もいとわない非人道性が染みついています。

 ソ連の崩壊でルーブルは紙くずに、食料も満足に買えない苦境にロシア人は見舞われ、国外からも軽蔑される。これがプーチンにとっては屈辱以外の何者でもなく、あらゆる犠牲を払っても強いロシアを復活させる野望が芽生えた、と考えています。

 NATOの東方拡大がロシアの安全を脅かすとか、ウクライナとロシアは歴史上一つの国である、ゼレンスキー政権はネオナチである、といった侵攻正当化の論理も、ロシアをかつてのソ連のような、軍事・政治面で強い大国にすることを正当化するためのものです。

――アメリカと覇権を競った超大国ソ連の崩壊というトラウマ体験がプーチンの原動力でもある、と。


 いわば、プーチン達は幕末の志士のような「世直し」のような意識を原動力にのし上がってきたのかもしれません。ただし、その手法は他者を殺戮することを厭わない非人道的なものですが。
彼は権力者となると「シロビキ」と称される同世代のKGB時代の古い友人たちを引き立てて国政の要職につけてきました。その何人かは現在でもプーチン政権中枢にいて、今回のウクライナ侵攻にあたっても政権のブレーンとしてプーチンを後押ししています。

 誇り高く強いロシアを取り戻す、という動機だけなら美談にも見えますが、プーチンにはKGBの体質が骨の髄まで染みついているので、人を殺すことを何とも思わない。だから政敵の暗殺も虐殺も、プロパガンダで自らを正当化し国民を洗脳することも厭わないのです。ウクライナ侵略もその延長線上にあります。

――しかし、日本や欧米ではそのようなプーチン・ロシアのダークな面は見過ごされてきました。

 まず2001年の9.11テロで、国際社会の安全保障上の関心はロシアよりもイスラム過激派のテロに向いてしまうんです。また中国も経済力をバックに軍拡を進めてきた。落ち目のロシアよりアルカイダや中国の方が問題だ、と、プーチンとロシアへの関心がここで一度薄れてしまったようにも思います。僕自身も、2000年代はプーチン・ロシアよりもアルカイダや中国のサイバー工作部門といった分野の記事を主に書いてきました。


 それに、2000年代はまだ米露の軍事力・経済力に隔たりがあり、アメリカはイラクやアフガニスタンに介入してきたブッシュ政権でしたから、プーチンも大人しくしていたんです。しかしオイルマネーでロシア経済が復活し、軍事介入に消極的なオバマ政権になると、ロシアはアメリカの出方を探りながら対外的な介入を始めます。

 国連安保理でも国民を殺戮するシリアのアサド政権に圧力をかける決議案を拒否権でことごとく葬りました。2013年にはアサド政権がサリンを使用して住民を虐殺しましたが、オバマ政権が軍事介入を回避したことで、もう米国は怖くないと確信したのでしょう。翌2014年にはクリミアと東部ウクライナに侵攻し、さらに翌2015年には劣勢に陥っていたアサド政権を助けるためにロシア軍をシリアに派遣し、自ら虐殺への加担を開始しています。

 このようにシリアやクリミアなどで色々やってみても、オバマ政権は強い介入をしなかったため、ロシアは自らの勢力圏を拡大しました。これがプーチンにとっての成功体験になったわけです。

 ただし、こうしたプーチンの不正で強権的な勢力拡大は当然ながら西側諸国から非難されます。欧米メディアでも、プーチンは放っておいたら何をするかわからない独裁者だという評価が定着しました。イギリスでの軍用毒物を使った亡命者暗殺未遂なども起こしていますし、米国の大統領選でのフェイク情報を使った世論誘導工作なども明らかになりました。ウクライナ侵攻以前から、プーチン政権の危険性はもう隠しようがないものになっていました。

――しかし、アメリカがロシアを付け上らせた、という一面も否定できないようですね。


 ブッシュ政権の後、ロシアはオバマ政権・トランプ政権が“世界の警察”の役割を放棄したことに付けこんで、自らの勢力圏を広げてきました。ところがバイデン政権は人権擁護や西側の結束を旗印に、ロシアの勢力圏拡大に対抗する姿勢を見せてきた。プーチンとすれば、今のうちにウクライナを手に入れようと判断したものと思われます。

 プーチンは老化、あるいは病気で合理的な判断ができなくなったのだろうといった言説がウクライナ侵攻後に散見されますが、私はそうは思いません。おそらく彼は軍や情報機関から報告された間違った情報分析を元に今回のウクライナ侵攻を発動したものと推測されますが、強権的な手法で強引に他者を蹂躙する行動パターンはもともとのものです。彼はきわめて悪い意味で信念が強く、これまで常に勝利してきました。ウクライナでの苦戦は初めての計算違いでしょうが、彼がそれを認識して退くことができるかは別問題です。そこにこの惨禍を容易に終わらせられない難しさがあります。

▽『プーチンの正体』(宝島新書)
著者:黒井文太郎
発売日:5月27日
定価:880円(税込)

【後編】「信頼できる親日家」軍事ジャーナリスト黒井文太郎氏が語るプーチンを誤解し続けた日本の政界とメディア
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