今日6月30日は、ハロー!プロジェクト・キッズの合格発表から20年の記念すべき日だ。合格後、Berryz工房℃-uteとして10年以上アイドルの第一線で活躍、現在は全員ハロー!プロジェクトから卒業しそれぞれの道を歩んでいる。
20周年を記念して、彼女たちの魅力やすごさを改めて紐解いていきたい。

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ハロー!プロジェクト・キッズのオーディションが開催されたのは2002年。TBS系列のソルトレイクシティオリンピックのテーマソングにモーニング娘。の『そうだ!We’re ALIVE』が起用され、その年の9月には後藤真希が卒業。また松浦亜弥が『桃色片想い』『Yeah!めっちゃホリディ』『The 美学』をリリースするなど、ハロー!プロジェクトのアイドルたちが一世風靡していた年だ。

このオーディションの応募対象は<都内にレッスンに通える小学生>に限定されていたものの、27,958名の応募者が集まり、『ハロー!モーニング』で発表された最終的な合格者は、清水佐紀嗣永桃子徳永千奈美須藤茉麻夏焼雅、石村舞波、熊井友理奈菅谷梨沙子、梅田えりか、矢島舞美、村上愛、中島早貴、鈴木愛理、岡井千聖、萩原舞の15名となった。

合格したメンバーたちはMV・コンサートでのバッグダンサーや、映画『仔犬ダンの物語』への出演など、学業を優先させつつ活動。そんな中、2003年には矢口真里(モーニング娘。)、そして梅田・清水・矢島・嗣永・村上による「ZYX」、田中れいな(モーニング娘。)・夏焼・鈴木の3人で「あぁ!」が結成。両グループとも短い活動期間ながら、『行くZYX! FLY HIGH』や『FIRST KISS』など、今も愛される名曲を残している。


翌2004年、清水・嗣永・徳永・須藤・夏焼・石村(2005年に卒業)・熊井・菅谷の8人によるBerryz工房が誕生し、同年にCDデビュー。2007年にはさいたまスーパーアリーナで単独コンサートを開催し、同会場でライブを行った最年少のアーティストとなった。当時の平均年齢は13.8歳で、この記録はまだ破られていない。Berryz工房に選抜されなかった梅田(2009年卒業)、矢島、村上(2006年脱退)、中島、鈴木、岡井、萩原の7名は℃-uteと名付けられ、2006年にハロプロエッグから有原栞菜(2009年脱退)が合流し、2007年にメジャーデビューした。

デビューから精力的にリリースや国内外でのライブを重ねる中で、Berryz工房は身長も持ち味も凸凹な超個性派集団に、℃-uteは歌もダンスもとことん極めた超人的パフォーマンスグループへと成長する。アイドル戦国時代と言われた2011年頃からはハロー!プロジェクト内での後輩も増え、だんだんとベテラン勢として扱われることも増えていく。

2013年には両グループとも初の日本武道館公演を開催したり、後輩たちとのライブハウスツアーを行うなど、ただキャリアを重ねるだけでなく新たな挑戦する姿も見せてくれた。またそれぞれのアルバムに収録された『Because happiness』と『幸せの途中』を同時に再生すると1つの曲(『超HAPPY SONG』)になるというユニークな仕掛けの楽曲をリリースしたり、日本武道館やパリでの合同コンサートの開催、また嗣永・夏焼・鈴木によるユニット「Buono!」での活動などから、時折ハロプロキッズの絆を感じることもできた。

そして2014年8月には、Berryz工房が2015年春をもって無期限の活動停止に入ると発表。デビュー11周年の記念すべき日、3月3日の日本武道館が現状のラストステージとなっている。翌年には℃-uteが2017年6月をもって解散すると発表。Berryz工房が最年少記録を打ち立てたさいたまスーパーアリーナで6月12日にその歴史に幕を下ろし、ハロー!プロジェクト・キッズとして加入したメンバーが全員、ハロー!プロジェクトから卒業となった。


グループでの活動を終えたあとの進路も多岐にわたる。鈴木はソロアーティスト、女優、モデルなどとして活躍し、2020年には鈴木雅之の楽曲に参加し話題になった。嗣永はカントリー・ガールズとして、夏焼はPINK CRES.として再デビューするが、嗣永は2017年に芸能界を引退、夏焼は現在ソロで活動している。

アイドル時代から長身で注目を集めていた熊井は『王様のブランチ』リポーターとして活躍したほか、「アルマーニ」のランウェイを歩くなどモデル業を中心に活動。最年少だった萩原は℃-ute解散後にアパレル関連の事業を立ち上げ、現在は代表取締役を務めている。芸能界を引退してもSNSで発信を続けているメンバーが多く、最近では育児について相談し合う微笑ましい姿も見られる。

スキルを求められがちな最近のアイドル界では、新メンバーでもある種“できあがっている”ことが増えたように思う。しかしハロー!プロジェクト・キッズとして加入した15人はほとんどが無邪気な小学生だった。その無邪気っぷりは、当時6歳の萩原が残した「つんく♂とか来て楽しかった」という名言や、菅谷がローラースケートで怪我をしてオーディションにやってきたことにも現れているように思う。そこから20代まで成長を見せ続けてくれた彼女たち。

Berryz工房が2014年にリリースした『普通、アイドル10年やってらんないでしょ!?』にあるように、小学生から≪土日も全部ささげて来た≫中で、≪デビューしてからも「山」「谷」あり≫、そして若い後輩たちが加入することで≪チヤホヤされてた若い頃 あの頃が少し懐かしいけど≫と思ったこともあるかもしれない。

それでも10年以上にわたる活動の中で個々の魅力を磨き続け、それをお互いに尊重しあうことやグループとして発信することで、それまで考えられていたアイドルという枠を広げる一翼を担ったように思う。
だからこそ今でも、これまで送り出してきた楽曲も彼女たち自身も愛され続けているのだろう。そして、その背中を追いかけた後輩たちや、彼女たちに憧れ背中を押されたアイドルたちが今を担い、その精神が受け継がれていくのだ。

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