強烈なキャラクターと独特な世界観でSNSを中心に人気を集める"令和のバズ女王"高嶺ヒナ。二次元の存在のように思える彼女だが、1stフォトブック『Lalka ~偶像少女~』(扶桑社)を発売するほか、2021年にはNHKにTV出演も果たす。
一体彼女は何者なのか、その生い立ちを聞いた。
(前中後編の前編)

【写真】圧倒的ビジュアルで人気を集める高嶺ヒナ 撮り下ろし写真【5点】

──高嶺さんはファッション誌やアパレルブランドのモデルを務める一方で、自身のブランド「HIDOLATRAL THEODOL」を始め、複数のアパレルブランドの衣装デザイナーとしても活躍しています。いつ頃からファッションに興味を持ったのでしょうか。

高嶺 小学生の頃から服が好きで、親から与えられた服の中で、いかに自分の好きなファッションに近づけるかを考えていました。小物なんかは自分で作っていましたし、不自由の中での最大限の自由みたいなものを常に探し求めている子どもでしたね。

──服好きは誰かの影響があったんですか?

高嶺 自分でも何に影響されたのか分からないんですよ。
お母さんはどちらかいうと綺麗めの服を好んでいて、娘にも清楚系の服を着てほしいというタイプ。私は小さい頃からお人形さんに憧れがあって、ちょっと奇抜なゴスロリ系の服を好んでいたので、お母さんの趣味とは正反対でした。私がフリルの付いたブラウスやフリフリのスカートを穿いていると、いい顔をしなかったですからね。中学生になると行動範囲が広がって、こっそり古着屋に行ってたんですけど、お母さんにバレたときは、めっちゃ怒られました。

──厳格な家庭だったんですね。

高嶺 高校生になるまで携帯すら持たせてもらえなかったし、家にあるパソコンもパスコードロックされて自由に見ることができませんでした。
だから古着屋に行く時も、ニンテンドーDSiのWebブラウザで道を調べました(笑)。高校生になって携帯を持たせてもらえましたが、普段は没収されていたので、学校から帰る時は毎日、「学校の公衆電話からテレフォンカードで電話しなさい」と言われていました。

──高嶺さんにはお姉さんもいるそうですけど、同じように厳しかったんですか?

高嶺 お姉ちゃんは模範的な娘で、成績もいいし、突飛な趣味とかもないし。親からの信頼があったので、それほどではなかったと思います。私は小学校の時から今に繋がる趣味の片鱗がありましたし、今から10年ぐらい前は、俗に「オタク趣味」と言われるものは一般化していない時代。私は小さい頃からアニメやマンガが好きで、禁止されるということはなかったですけど、「マンガばかり読まないで、ちゃんとした本を読みなさい」という感じで、あまり私の趣味に理解はありませんでした。


──アニメやマンガには理解がないのに、ゲームは大丈夫だったんですね。

高嶺 それも紆余曲折がありました。そもそもゲーム自体がダメな家庭だったんですが、私が2年ぐらいゲーム機をねだり続けた上に、ダンボールや紙でニンテンドーDS風のものを工作していたんです。それを見て、さすがに親も不憫に思ったのか、やっと買ってくれました。でも私がゲームばかりしていたら、お母さんが激怒して、私の目の前でDSを水没させて壊しちゃったんです。

──それはトラウマになりますね……。
親に反抗はしなかったんですか?

高嶺 かなり反抗してました。親に抑圧されると、だんだんものを言わなくなって、消極的になる子どもが多いと聞きますけど、私の場合は規制されればされるほど衝突してました。

──親に抑圧されたことが、表現欲に繋がっていった部分もあります?

高嶺 すごくありますね。親に制限されて学んだことも多くて、そう考えると感謝すべきところも多いんですよね。たとえば昔から絵を描くのが大好きだったんですけど、周りの子たちはコピックという1本300円以上するマーカーを何十色も買ってもらっていて、すごく羨ましかったんです。私は親が買ってくれないので、自分のお小遣いで買うしかなくて、安い水彩絵の具を12色だけ買いました。
その不自由な状況の中で、めっちゃ色を混ぜて、自分なりに模索したんです。その結果、私が描いた水彩画が全国で賞をもらえたので、今となっては抑圧されて良かったのかなと思いますし、それを親が見抜いて、あえてやっていたらすごいですよね(笑)。

──高嶺さんは十代前半からファッションの一部としてコルセットを装着していたそうですね。

高嶺 確か12、13歳ぐらいからです。通販で買うと親にバレちゃうので、実店舗の古着屋さんに行って買いました。小説やライトノベルの影響で、耽美主義への憧れもありましたし、少女という存在へのこだわりもあって、コルセットっていいなと思ったんです。


──コルセットでウエストを締め付けていたら、さすがに親も気づくんじゃないですか?

高嶺 もともとガリガリなタイプの子どもだったので、ちょっと変わったところで気づかなかったです。

──周りに、高嶺さんと同じような趣味の友達はいたんですか?

高嶺 いなかったですね。ただ周りにアニメ好きな子が多かったので、オタクっぽい話をしつつ、一緒に買い物に行った時に、チラッと自分が好きなお店に立ち寄っていました。地元に東京でいう中野ブロードウェイみたいなショッピングセンターがあって、アニメイトと同じフロアに、球体関節人形を扱うお店があったんですよね。そこは大好きな場所でした。

【中編はこちら】壮絶ないじめと親からの否定…"令和のバズ女王" 高嶺ヒナが誕生するまで

▽高嶺ヒナ
人形のような完全無欠のビジュアルとコスプレへのストイックな姿勢、芯の通ったメッセージなどで若者から支持を集める「令和のバズ女王」。モデルやコスプレ活動だけでなく、人気アイドルグループの衣装デザインや自身のアパレルブランドを展開するなど多才を発揮している。1stフォトブック『Lalka ~偶像少女~ HINA TAKANE PHOTOBOOK』(扶桑社)が絶賛発売中。