かつては、ほぼ無名だったコンビ・笑い飯が衝撃的な爆笑をかっさらった02年「M-1グランプリ」から、まもなく丸20年。芸人として長らく第一線で活動するなか、「仏教マニア芸人」としても知られるようになった哲夫が今夏、仏教の開祖・ブッダの生涯を独自の解釈で記した新著『ブッダの一生 -カネも妻も子も手放して仏教を作ったスゴい人-』(ヨシモトブックス)をリリースした。
哲夫が語る「おもろい仏教」とは?(前後編の後編)

【前編はこちら】笑い飯・哲夫が明かす仏教に熱狂した理由「ブッダに人間味を感じる」

【写真】ブッダの生涯を独自の解釈で記した笑い飯・哲夫

──幼少期から仏教に親しまれてきた哲夫さんが、よりハマるきっかけは何だったんでしょうか。

哲夫 高校の時に先生から「仏教とは?」という話を色々聞いて、「やっぱりおもろいなあ」と。それで大学に入って自分で調べ出すと、もっとおもろい話がザクザク出てきて。そうやって知識が増えていきました。

──お笑いや音楽、あるいは女の子と遊んだり、そういう興味の対象のひとつに仏教があった、と。

哲夫 そうですそうです。でも、好きや、というのは、変な趣味やと思われそうであまり周りには言えませんでしたね。特に芸人になってからは。仏教はやっぱり真面目なイメージがあるでしょ? 芸人としては、真面目な部分を全て排除しようとしてたんで。でもまあ、バレたんですけど。

──バレた、というのはどういう経緯で?

哲夫 ある時、抜き打ちでカバンをチェック、みたいな企画がありまして。僕のカバンを開けたら般若心経の写経がいっぱい出て来て(笑)。
そこから仏教絡みでイジられることも増えました。僕は抵抗してたんですけど。

そのうちに会社から「般若心経の本を書け」という話が来まして。会社にもイジられるんやったら、もうあきらめようと。でもやりだしたら、笑いの素材、お題としては仏教って抜群やな、ということもわかって来て。大枠のテーマが仏教で、そこにお笑いを乗っけるのは作業として楽しいんですよ。

──そもそも、写経はなぜ始めたんですか?

哲夫 元々はネタを書くときに「手を動かしていたほうが何か浮かぶかな」という思い付きです。「漢字の一文字一文字に何かインスピレーションがあるんじゃないか」というか。結局、集中して最後まで書いてしまうんで、ネタが浮かぶことはなかったんですけど(笑)。

──ほかに仏教がお笑いに役立ったり、ネタになったりすることはありましたか?

哲夫 ネタになる、というよりは、物事の考え方ですかね。僕の中では「仏教の考え方を知っているから前に出られる」というところがあるんで。何でかというと、仏教は「個人」と「全体」を同一視できるから。
1人はみんなのために、みんなは1人のために、ということです。例え僕が何か言ってスベったとしても、「自分だけがスベってるんじゃない」と考えることが出来るんですよ。

──スベることを恐れずに積極的になれる、ということですか?

哲夫 そうなんですよ。周りの芸人もそうやし、お客さんもスタッフさんもみんなでスベってる。人のせいにしてるだけですけどね(笑)。ただ裏を返せば、僕がバーッてウケた時、「みんなのおかげでウケた」って思えるんですよね。

──天狗になったり、調子に乗ったりすることもなくなると。

哲夫 はい。1人でウケることを目指さなくなるんで。仮に僕1人でウケても、「まあそんなもんか。諸行無常やし」って感じです。みんなでウケたいし、みんなの生活が向上すればいいのに、って本当に思ってます。
「おかげさま」っていうのは仏教由来の言葉なんですよ。その考え方がええなあ、と思いますね。

──仏教好きの哲夫さんから見て、現代日本人の「無宗教観」はどう映りますか?

哲夫 宗教感や信仰が薄い、と揶揄する人もいますけど、僕は日本人のすごさは順応性の高さだと思うんですよ。元々は神道の国で、1500年前の方が仏教を受け入れた。結婚式は西洋の文化を取り入れて、というのも順応性の高さがなせることで。薄いんじゃなくて、寛容なんですよね。ひとつの宗教しか認めない、という国よりも日本の方が豊かですごいんじゃないですかね。

──お話を聞いていると、哲夫さんの話はなんだか「悟り」に近いように感じました。でも著書では「自分は悟りたくなんてない」という風におっしゃっていました。それはなぜですか。

哲夫 やっぱり、煩悩を全部消さないと、悟りって開けないんでね。僕にしたら、女の人にモテたい、夏場に日焼けしたい、おもろいと思われたい、そのへんの煩悩は消えないんですよ。
やっぱり「自分以外の誰かがモテればいい、ウケればいい」とは思えないですね。まだまだ煩悩だらけです(笑)。
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