大仁田厚と、「大仁田番」記者であり、元週刊プロレス記者の小島和宏が9月19日巣鴨の闘道館でトークイベント『ノー忖度!言論地雷爆破デスマッチ』を行った。しかしイベント開始直前、小島記者が上梓した『FMWをつくった男たち』(彩図社・刊)の内容について「大仁田が怒っている」という一報が小島記者のもとに入った…。
ステージ上で大仁田から激怒される可能性もある、緊張で張り詰めた舞台裏について、記者本人がレポートする。(前後編の前編)

【写真】大仁田厚と元週刊プロレス記者の小島和宏の言論地雷爆破デスマッチ

「大仁田さんが『反論したいことがある!』と言っています。このまま本にサインを入れてしまったら、すべてを認めてしまったことになるのでサインも書けない、と……」 

そんな連絡が入ったのはイベント開始の2時間前だった。

順を追って話していこう。

僕は8月に『FMWをつくった男たち』という本を出版した。これは平成元年に大仁田厚が旗揚げしたFMWというプロレス団体が、存亡の危機を乗り越えて、電流爆破デスマッチで大ブレイクし、わずか2年で川崎球場を満員にするまでの舞台裏を描いたドキュメンタリーである。

当然、主役は大仁田厚になるのだが、今回はあえて大仁田本人への取材はしなかった。これまでに大仁田の立志伝的な書物は山ほど出ているし、なによりも僕自身、番記者としてリアルタイムで週刊プロレスに記事を書き続けてきた。よっぽどの発言がない限り、どうしても既視感は拭えないだろう。

それだったらおもいきって大仁田への取材をバッサリ切り捨てて、当時の周辺人物への取材を充実させたほうが面白いのではないか? レスラーはまだしも、あのころ関わっていたスタッフはよっぽどのマニアでなければ顔と名前が一致しないだろう。ただ、彼ら、彼女らがいなかったら、FMWという組織は間違いなく維持できなかった。

大仁田厚がいなかったらFMWという団体は旗揚げされなかったし、大仁田厚がいなかったら大ブレイクすることもなかった。
それを大前提として「でも、こんな人たちのこういう努力がなかったら大ブレイクする前にFMWは潰れていたかもしれない」ということをこの本を通じて、僕は多くの人たちに伝えたかった。いや、僕が書かなかったら、そういった事実は誰にも知られることなく「なかったこと」にされてしまう。だからこそ、今回の本の主役は「大仁田厚以外の人たち」にしたかったのだ。

もちろん、こっそり書いて、こっそり出版するという手段もあったのだが、それだけはさすがに避けたかった。ちゃんと大仁田に本を渡し、読んでもらい、その上で感想をもらう。そこではじめてこの書籍は本当の意味で完成する、と勝手に考えていたからだ。

ただ、それは人前でやらなくてもいい、とも思っていた。雑誌での対談などで実現すればいい、と。そもそもイベントを企画したところで大仁田に断られたら、開催すらできないし、まったく大仁田厚にとってメリットのないイベントだから、きっと出てきてはくれないだろう。

ところが、である。なぜか大仁田は出演を快諾してくれたのだ。そこで『ノー忖度!言論地雷爆破デスマッチ』というタイトルをつけて、トークバトルを開催することとなった。
僕自身、よく覚えていなかったのだが、30年以上にも渡る関係性なのに、いままで一度もトークショーなどで大仁田と共演する機会がなかった。ひょっとしたら、これが最初で最後の「一騎打ち」になるかもしれない。そう考えたら、イベントも何週間も前から全身に緊張感が走った。

イベント発表から開催当日まで約1か月間。主催者側からは「こうなったら開催まで大仁田さんと会わないでください、連絡もとらないでください」という要請があったので、まったくコミュニケーションはとっていない。開催5日前にはweb上で大仁田からのビデオメッセージが公開されたが、なんと、その時点で大仁田は「まだ本を読んでいない」と公言している。うわぁ~、と思いつつも、逆にこのまま本を読まないでいてくれたほうがイベントはやりやすいな、とも感じていた。なんとなくではあるが、大仁田が本を読まないままステージに立つことを想定した上での質問案やイベントの構成も出来上がっていたのだが、イベント前日、ついに大仁田は本を開いてしまったのである。

その結果が冒頭の連絡につながってくる。どう考えても大仁田は怒っている。それを確信したのはイベント開始前の打ち合わせすら拒絶されたとき。いったいなにについて反論したいのかも明かさないまま、ステージで対面しよう、というのだ。


これには参った。怒りの要因がわかれば、まだ対処のしようがあるが、まったくのヒントがないのだから、ヘタをすると特大級の地雷を踏んで、ステージ上で激怒される可能性もある。シャレでつけた「言論地雷爆破デスマッチ」というタイトルが、とてつもないリアリティーを伴って僕にのしかかってきた(当初は大仁田に地雷を踏ませる気マンマンだったのだが……)。

結局、大仁田は開演時間まで姿を現さなかった。まさに僕がステージに上がる寸前になって、ようやく会場入りしたのだが、当然、言葉を交わす時間はなかった。頭の中では、かつてテレビ朝日の真鍋アナウンサーと繰り広げていた『大仁田劇場』の光景がグルングルンと駆けめぐっていた。数分後、僕はステージ上で首根っこを掴まれ「小島―っ!」と怒鳴られるかもしれない。いや、きっと、そうなる……令和になってから、もっとも気持ちの重たい時間が流れていた。(後編へつづく)

【後編はこちら】「リングに上がってこい!」大仁田厚がファンキー加藤を挑発、元週刊プロレス記者が一部始終を明かす
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