「私、中澤裕子は、3月20日から始まる全国ツアーを持ちまして、 モーニング娘。からの卒業を決意した事を報告させて頂きます」
国民的アイドルとなったモーニング娘。の21世紀は、この一言からすべてが始まった。
結成時からリーダーとしてモーニング娘。を引っ張ってきた中澤裕子が、2001年春ツアーでの卒業を発表。直前に派生ユニットのミニモニ。
「裕ちゃんの卒業のときが、一番やばかった」(安倍)(※1)
「“まさか!”って」(矢口)(※2)
「私はずっと泣いてた」「先輩たちでさえ、姉さんに頼ってるのがわかった」(石川)(※3)
それまでの3年間で福田明日香、石黒彩、市井紗耶香と3人のメンバーを送り出したモーニング娘。だったが、中澤の卒業に際しては決定的に語る言葉が変わった。それは年長の彼女がまだ未熟な少女たちにグループへの愛を持たせ、時には厳しい言葉を交えつつも、愛をもってその背中をずっと力強く支え続けてきたからである。しかし仲間の動揺にも、中澤自身はすでに少し先にあるべき自分を見据え、その意思を決して変えることはしなかった。
「わたしのいいところは“誰も経験したことのない年齢を、いつも先に行けるところ”」(中澤)(※4)
30歳になる頃には、自分の足でちゃんと立っていたい。それは27歳を迎えた一人の女性の、大きな決断でもあった。
選んだ未来の寂しさを胸に、それでも「完全燃焼」(※5)という言葉をもって、中澤裕子が悔いなくゴールテープを切ったその3カ月後。テレビでは水兵をイメージした衣装でステージに立ち、声高らかに宣誓する、若きモーニング娘。9人の姿が何度も繰り返し放送された。
「HO~ほら行こうぜ そうだみんな行こうぜ」
2001年7月にリリースされた12枚目のシングル『ザ☆ピ~ス!』は前作『恋愛レボリューション21』に続く明るい楽曲で、中澤卒業を不安視する声を吹き飛ばし、見事オリコン初登場1位を獲得した。しかもその偉業は1位獲得にとどまらず、『ザ☆ピ~ス!』は23週にわたってランキングに登場し続ける、久々のロングヒット曲へと育っていく。そしてこの動きは有名メンバーの卒業=人気低下が宿命だったモーニング娘。にとっても、前作を良い記録で上回った、記念すべき初めての出来事となった。
なぜ『ザ☆ピ~ス!』はリーダー卒業の逆風を跳ね除けられたのか。理由は大きく2つある。
1つはブレイクと数々の大舞台を経て、素人集団だったモーニング娘。がこの頃ついに、スターとしての熟成期を迎え始めていたということだ。プロデューサーのつんく♂のライナーノーツを見ても、最初は「育てる」という言葉で表現されていた彼女たちは、’00年代に入ると「立派なエンターテイナー」に評価が変わる。そしてその視点はファンの反応にしてみてもほぼ同じで、ステージでの経験を共有するたびに刹那的な応援だけでなく、グループそのものへの信頼が、この頃のモーニング娘。には少しずつ生まれ始めていた。
そしてもう1つ、繰り返される加入と卒業の果てにモーニング娘。
ドラマティックな結成から3年間で3人の卒業、そして続く4人目となったリーダーの卒業報告に際し、長く苦楽を共にしたメンバーたちは最初、ショックや不安で言葉を失う。しかし自立のためのステップという中澤の前向きな意思こそが、いつしか若いアイドルたちに寂しさだけでは語れない「別れのもう1つの意味」を、自ずと気づかせた。
「いつまでも、裕ちゃんに甘えてちゃいけない」(安倍)(※6)
「私がモーニング娘。として何が出来るかを考えたとき、裕ちゃんが卒業して変化するグループを支えていける存在でいられたらと思った」(保田)(※7)
彼女たちはモーニング娘。という人生を通して、時間は有限であり、今日のありふれた日常はけっして当たり前のものではないことを知る。中澤卒業直後のシングル『ザ☆ピ~ス!』の明るさはアイドル稼業の向こうに「諸行無常」を知った、そんな少女たちのありのままの輝度でもあったのだ。だからこそモーニング娘。はあのとき、「ありふれた日常を心から愛せよ」と、迷いなく歌いきれていたのだろう。
だが同じ2001年、世界中の人々は、それ以上にかつてない衝撃をもって、ありふれた日常の尊さを知ることとなる。
2001年9月11日、突然テレビ画面に映し出されたのは黒煙に包まれた2つのビル、そしてそこに旅客機がさらに突入する、その瞬間だった。
現地時間の朝に起きたこのアメリカ同時多発テロ事件では、澄み渡る青空の中、コックピットを乗っ取られた旅客機1機がアメリカ国防総省、そして2機がニューヨークのワールドトレードセンターに次々と突入する。
2度の世界大戦と長い冷戦に苦しんだ20世紀をやっと乗り越え、過去のものとしたはずの2001年の人々は、まさか という形で「日常の崩壊」の目撃者になってしまう。
昨日までとはまったく違う「PEACE」の意味を、探す使命を背負うことになってしまった新しい世紀。その始まりに居合わせた私たちもまた手探りで、もう一度日常とは何か、自分自身に問いながら日々を生き直すことになった。
そしてこのテロ事件以降、実は若きエンターテイナーたちの楽曲にも、また小さな変化が起きている。 歌詞を追うとこの2001年を境に、モーニング娘。の作品には恋心や進路といった年頃の悩みと同列で、「平和を切に願う」普通の女の子の姿が、継続して描かれるようになっていくのだ(※8)。
モーニング娘。12枚目のシングル『ザ☆ピ~ス!』(2001年7月25日発売)
※1安倍なつみ『ALBUM―1998‐2003』(ワニブックス)
※2矢口真里『おいら―MARI YAGUCHI FIRST ESSAY』(ワニブックス)
※3石川梨華『国語、算数、梨華、歴史!』(エンターブレイン)
※4能地祐子『モーニング娘。×つんく♂2』(ソニーマガジンズ)
※5中澤裕子『ずっと後ろから見て きた』(ワニブックス)
※6安倍なつみ『ALBUM―1998‐2003』(ワニブックス)
※7『モーニング娘。 20周年記念オフィシャルブック』(ワニブックス)
※8「平和」がでてくるモーニング娘。の作品と歌詞(1997~2018年・つんく♂作品のみ)
『そうだ! We’re ALIVE』(02)「努力 平和 A BEAUTIFUL STAR」
『浪漫~MY DEAR BOY~』(04)「平和という無限の情熱がある」
『ラヴ&ピィ~ス!HEROがやって来たっ。
『歩いてる』(06)「切に平和 願って」
『元気+』(07)「ぐっすり眠れる平和が好き」
『雨の降らない星では愛せないだろう?』(09)「仲良く生きていこう 平和であろうよ」
『あっぱれ回転ずし!』(10)「平和が回ってくる」
『この地球の平和を本気で願ってるんだよ!』(11)「この地球の平和を本気で願ってる」
『この愛を重ねて』(11)「この愛を重ねて 永遠の平和と 夢よ叶えと願ってる」
『地球が泣いている』(12)「100年先の平和を願う 大きな雄叫びを」
『ゼロから始まる青春』(12)「やっぱり平和が良い 老後も安心なら なお素晴らしい」