モーニング娘。と山一證券、モーニング娘。
と小泉構造改革、モーニング娘。とミレニアム問題……。ニッポンの失われた20年の裏には常にモーニング娘。の姿があった! アイドルは時代の鏡、その鏡を通して見たニッポンとモーニング娘。の20年を、『SMAPと、とあるファンの物語 -あの頃の未来に私たちは立ってはいないけど-』の著書もある人気ブロガーが丹念に紐解く。『月刊エンタメ』の人気連載を出張公開。9回目は2005年のお話。

2004年初頭の安倍なつみ卒業から始まった、モーニング娘。の“痛みを伴う構造改革”。グループとOGたちが『ASAYAN』終了後の世界でも生き残っていくための戦略的卒業ラッシュは、この2005年、誰も予測していなかった形で最終局面を迎えることになった

「矢口が辞めます」(※1)

同年の上半期、もともと卒業が予定されていたモーニング娘。は2人だけだった。最後の1期メンバーとなった飯田圭織、そして安倍なつみ・後藤真希卒業後のモーニング娘。
をエースとして牽引してきた4期メンバー・石川梨華。彼女たちはその貢献度合いも大きかったことから、世代交代のショックを和らげる意味合いも含めて、前年のかなり早い段階で卒業予定が公表されていた。

しかし筋書き通りにいかないのもまた、彼女たちの生きる芸能界である。2005年4月14日、2期メンバーの矢口真里が写真週刊誌に恋人とのツーショット写真を掲載され、矢口は自ら騒動の責任をとる形でグループを脱退する。それは彼女が飯田の後を受けて3代目リーダーに就任してから、わずか2カ月後の出来事だった。

こうして偶発的なものも時に含めつつ、2004年から2005年にかけて計6人が卒業、もしくは電撃脱退していったモーニング娘。だったが、2005年4月の新メンバーの加入を機に、グループはメンバー固定の期間が少し続くことになった。内訳は吉澤ひとみ、高橋愛、紺野あさ美、小川麻琴、新垣里沙、藤本美貴、亀井絵里、道重さゆみ、田中れいな、そして新加入の7期メンバー・久住小春、計10人。

黄金期と呼ばれた大ブレイク期のメンバーはこの時点で、すでに吉澤ただ1人となっている。そのため、この頃になると彼女たちは「今のモーニング娘。は誰がいるのか分からない」という言葉を、もうだいぶ浴びせられるようになっていた。

ただこの時期のモーニング娘。
には、同時に奇跡的な幸運も存在していた。それは行くべき道を示してくれたはずの先輩が一気にいなくなり、モーニング娘。の足元が揺らぎそうになったとき、偶然グループのトップに立っていたのが、いずれも物事をポジティブに割り切るタイプの吉澤と藤本だったということだ。

「中澤姐さんのやり方ではないし、2代目、3代目のリーダーのやり方でもない。自分なりのやり方で(中略)後輩たちを変に固めるのではなく、個々に伸び伸び活動できるグループを目指しました」(吉澤ひとみ)(※2)

この2005年、矢口の脱退を受けて急遽4代目リーダーに就任することになった吉澤は、もともと自身が飽きっぽい性格であることを自覚しており、それゆえに「変化」こそがこの仕事において大きな魅力であると考えている人だった。

また前年から参加していた芸能人フットサルチーム、ガッタス・ブリリャンチス・エイチピーでの知見もあり、彼女にとってこの2005年の変動は、自分たちの再出発の機会としてすぐに前向きに受け止められていく。

またそんな吉澤の補佐役となった4代目サブリーダー・藤本の場合は、グループ加入前のソロ経験が、すでにどんな状況にも動じない心を身に付けさせていた。たとえ人気が落ちていようと、大切なのはあくまで今。そして付け加えれば、彼女はグループがもう一度浮上するためのきっかけも、この頃からすでに把握していたのだ。

「個人のクオリティーを上げていくのが一番ですね。歌番組も減ってテレビにはあまり出る機会がなくなっても、コンサートは続けていましたし」(藤本美貴)(※3)

そんな2005年。実はこのタイミングで日本社会自体も、総務省統計局の発表によってある現実を突きつけられていたのを覚えているだろうか。


その始まりはこんな一文である。

「我が国の人口は減少局面に入りつつあると見られる」

2005年の国勢調査で、前年に比べて日本の総人口は2万人減少していたことが判明する。しかも続けて発表された厚生労働省の人口動態統計では出生数が死亡数を初めて下回るという、本格的な「高齢化社会」に突入した事実が指し示されており、新聞、テレビなど各メディアはセンセーショナルにこの事実を報道。これをきっかけとして、日本国内で人口減少への危機意識は急速に高まっていくようになった。

中でも衝撃だったのはこの人口減によって、現代日本の経済基盤をすべてひっくり返す「変化」のスイッチが、今まさに押されてしまったということであった。増え続ける人口と、若い労働力に支えられた大量生産・大量販売という神話は崩れ去り、社会は「量から質へ」の転換を迫られる。それは私たち1人ひとりにおきかえると、消費者として、また生産者としてどう変わるかという長い問いかけの始まりであったのかもしれない。

そしてその問いかけは偶然にも、テレビ露出によるブレイクという「量」の時代が終わりかけていた、女性アイドルグループの分かれ道にもリンクする。ここでそういえば、と思い出すことがある。社会変化の兆しが見えるこの2005年の夏、モーニング娘。は27枚目のシングル『色っぽいじれったい』で、「東名阪握手サーキット」というイベントを開催していたのだ。

『LOVEマシーン』以来6年ぶりに、CD購入者の中から抽選で選ばれた1万5千名がモーニング娘。
と握手できるというイベントの発案は、テレビ露出によるセールス方法が通用しなくなったことで周囲のスタッフもまた、すでに「変化」に対応しようとしていたことを指し示している。

そしてもう少し外に目を向ければ同じとき、会いに行けるアイドルというもう1つの「変化」を内包してAKB48が、秋葉原の小さな劇場で活動を開始していた。

やはり時代の節目は、いつも期せずして訪れていく。 そしてこの変化のタイミングに居合わせたアイドルたちは、生き残りをかけた大きな挑戦を、いずれもテレビが映さない舞台の上で、一斉にスタートさせていくのである。

モーニング娘。27枚目のシングル『色っぽい じれったい』(2005年7月27日発売)

※1『モーニング娘。 誕生10年記念本』(東京ニュース通信社)
※2「吉澤ひとみ(後編) 改革から始まったプラチナ期へのバトン」(朝日新聞デジタル)
※3『モーニング娘。 20周年記念オフィシャルブック』(ワニブックス)
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