俳優でありながら、レゲエDeeJay“卍LINE”としての音楽活動からカメラマン、監督業や執筆業まで幅広く活躍する窪塚洋介が、2月10日公開の映画『Sin Clock』で長編の邦画としては18年ぶりの単独主演を務める。本作にかける思いや、作品選びで大切にしていること、2004年に世間を驚かせた転落事故当時の心境から、その後に訪れた運命的な出会いまで、たっぷりと語ってくれた。


【写真】18年ぶりに主演を務める窪塚洋介の撮り下ろしカット【7点】

『Sin Clock』は、監督・脚本を手掛けた新鋭・牧賢治の商業映画デビュー作。人生のどん底に陥った主人公・高木シンジが、不思議な偶然の一致“シンクロニシティ”に翻弄され、一発逆転の絵画強奪計画を画策するという物語だ。

「『18年ぶりの邦画長編単独主演か』という意識は全くなかった」と語る彼が本作への出演を決めたのは、牧監督の存在を知らずにまっさらな状態で読んだ脚本を「すごく面白かった。月並みな言い方ですが、シンクロニシティというテーマと大どんでん返しの展開にすごく惹かれた」と感じたから。

「ドキュメンタリーと言うと大袈裟だけど、リアリティを持って描ければ、今までになかったようなものができるんじゃないかなと思って『昔の日本のドラマみたいな作り方をしないのであれば面白くなりそう』と返事しました。そうしたら牧くんも『もちろんです』って。それで出演することになりました」。

気が付けば18年。単独主演作にこれだけの期間が空いたのは、それなりのこだわりがあったからかと尋ねると、「出演する作品を選ぶ基準とこだわりはあるけど、主演じゃなきゃやらないとか、脇だからやるという感覚でもない」と答える。

「単純に、自分に振られている役が面白いかどうかが一番大事。その結果、18年経っていたというだけで、行き当たりばったりですね(笑)。20代前半くらいの頃は、『こういう役をやったから次はこういう役をやりたい』というように、今度は真面目な役、次は悪そうな役というような振り方をしていた気がします。
でも今となっては本当に直感。その役が面白いか、作品が面白いかというのを純粋に捉えるようにしています」。

本作の主人公・シンジは、牧監督が窪塚をイメージした当て書きの役柄だそうだが、窪塚自身にはその実感はあまりなかったという。

「当て書きと言われたかどうかも曖昧なんですよ。当ててくれていてもいなくても、面白いものは面白いし。それに、前半のシンジは自分自身とはかけ離れた感覚があったので、当て書きと言われていたとしてもピンと来なかったのかもしれない。『俺はこんなんじゃねぇ』って(笑)」。

“前半のシンジ”とは、理不尽な理由で会社をクビになり、妻子からも三下り半を突きつけられた、まさしく人生のどん底。「自分自身とはかけ離れた感覚があった」という発言を深堀りすると、言葉に隠れた彼の本音が垣間見える。

「怪我をして鬱屈としていた時の自分がわかるので、嫌なんですよ。マンションから落っこちた時からの数年間みたいで、『もう思い出したくない』っていうか。その時のどん底感は、ぶっちゃけシンジよりあったかもしれない。
共感できないというよりも、自分はそんな感覚は共感し尽くして這い上がったみたいなところがあるので、『もうあれはいいよ』みたいな」。

その後、“シンクロニシティ”によって強奪計画へと導かれていく主人公・シンジには「一発逆転でどうにかしたい、どうにかなれと思って宝くじ買っちゃうみたいな感覚はわかる」と共感。

「当時、金もなかったし、この歳になって親のすねかじるのかみたいなところもあったし。親父にはコンビニでバイトしろとも言われた。犯罪には走らなかったけど、環境によってはシンジのようになっちゃうこともあるだろうから。俺がつるんでいた仲間にはそういう奴らがいなかったので助かった部分もあったとは思う。そういう意味では恵まれていた」と転落事故後の自身を振り返る。

人付き合いで大切にしているのも、作品選びと同じく「直感」。「まず自分が本当に好きか、楽しいかというのが、一番でかい。何よりそれを大事にしていれば間違いない」と語る。

その一方で、「さすがに全部『俺は嫌いなやつは嫌いなんだ』という接し方はしていない。愛想笑いもできるし、合わせることもできるし」とも。


さらに窪塚は「ただ、絶対に自分自身には嘘をつかないようにはしてる。『今、俺はあいつに嘘ついてるよな』というのを自分自身と共有しないと、本当の自分がわからなくなっちゃう。そういう時があったんですよ」と続ける。

「例えば、自分が歩いていて、前の人が止まっている自転車を倒したとする。そういう時に、自分がどういうアティチュードをしていた人間だったかが思い出せないんですよ。『俺、ここで何も言わずに自転車を起こしてたっけ』『通り過ぎてたっけ』『呼び止めて注意してたっけ』『直させてたっけ』って。あまりにも自分の寄る辺がなさすぎて、『俺はこう』っていうのがわからなくなって、むっちゃ嫌だったんです。たぶん役者病みたいな感じで。それが極まってマンションから落っこちてる気もするんですよ。わかんないけど」。

『GTO』『池袋ウエストゲートパーク』『GO』『ピンポン』などの話題作に次々と出演し、世間の注目を集める陰で、少しずつ自我を見失いかけていた彼が、事故後に切り開いたのが音楽の道だった。

「レゲエDeeJay“卍LINE”は、俺がなりたい俺だったんですよ。
約10年活動して、やっと捕まえた。幸いにもあの頃のような状況には、それ以降なってない」と、確固たる自分に出会えたことで、軸をぶらさずに活動ができるようになったことを打ち明けた。

最後に窪塚に、これまでに起きた印象的な“偶然”を聞いてみた。

「俺、子どもの頃から三代目魚武濱田成夫さんという詩人がすごい好きだったんですよ。小学校の時に本屋でパッと手に取った詩集が『君が前の彼氏としたキスの回数なんて俺が3日でぬいてやるぜ』っていうタイトルで、その言葉の強さにめっちゃ憧れて、本を買ったんです。開いたら中の言葉も本当に輝いていて、『こういう大人になれたら面白いし、格好良いし、良い意味でバカだな』と思って、そこから追うようになって」。

転落事故から数年。窪塚は憧れの三代目魚武濱田成夫と運命的な出会いを果たす。

「俺がお世話になっていたMEDICOM TOYという会社と三代目に縁があって、たまたま会えることになったんです。『うわ、三代目おる!』ってなって」。

当時、事故の原因を様々噂されていた窪塚は、「俺、その頃、聞かれてもいないのに『あれは自殺じゃなくて、本当に落っこちただけなんですよ』って言い訳ばかりして生きていたんです」と振り返る。

「けど、三代目は開口一番『自分えぇよな~』って言うんですよ。
それで『何が羨ましいんですか、まぁまぁ大変ですよ』って言ったら、『だって自分、漫画の1ページ目やん、そのシーン』って。『自分の人生が伝記になったとして、1ページ目がマンションから落っこちてる途中の空中の絵やったら、めっちゃおもろいやん。ほんま羨ましいわ』って本気で言うんです」。

憧れの人物からの思いがけない言葉は、「雷に打たれたみたいな衝撃」だったという。

「『俺が憧れた三代目がマジで俺のことを羨ましがってる!』って思ったんですよね。MEDICOM TOYの人が俺を元気づけたくて会わせてくれたのか、本当に偶然なのかはわからないんだけど、とにかくガキの頃から好きだった詩人が、俺をめちゃくちゃ立ち直らせてくれたんです。背中を押してくれたのがその人だったっていうのが、俺にとってはすごいシンクロニシティだったんですよね」

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