【写真】登山家・野口健の壮絶体験に思わず口元を抑える中田花奈、ほか番組カット【11点】
様々な業界のトップランナーを先生として招き、今後様々な出来事に向き合っていく学生や社会人に、「知っておいてよかった」となる“考え方のヒント”を届ける、民放公式テレビ配信サービス「TVer」の完全オリジナル番組『TVerで学ぶ!最強の時間割』。
Lesson23は、16歳で登山と出会い、17歳から25歳にかけて7大陸最高峰登頂の世界最年少記録(当時)を樹立、現在は富士山や世界初となるエベレストでの清掃登山に精力的に取り組む登山家・野口健が登場。死と直面する瞬間が幾度なく訪れるエベレスト登頂の壮絶な体験談が語られる。
低酸素・極寒・悪天候に耐えるには、体力も大事だが「精神状態を維持することが大変」で「諦めた人から亡くなる」と野口は明かす。「死の恐怖はすごくエネルギーを持っていて、向き合うと勝てない」と語り、実際に野口自身も 2 度目のアタックでは山頂まであと 300m の場所で猛吹雪に見舞われ、「死ぬくらいなら逃げよう」と決断したという。
壮絶な体験談に、サーヤ(ラランド)は「何回も死に直面している人って、ひとつ上にいる感じがする」とコメント。中田花奈(元乃木坂46)は「2度の失敗があっても、それを失敗ととらえないのが成功の鍵では」と推測。野口は「挑戦すると必ず失敗する。失敗を楽しんだほうがいい。失敗して初めて見える景色もある」「人生トータルで考えて 51%うまくいけば成功。49%失敗してもいい」と自らの人生訓を披露した。
番組に参加した中田は、野口について「すごくポップにお話しされていたのですが、登山は“死”と向き合いながらするものだ、という内容が印象的でした。ご自身も死に直面したことがあり、仲間が亡くなるような経験をしながらも挑戦することが、すごいと思いました」と語った。
──登山のイメージは変わりましたか?
中田 とても変わりました。“高山病”という言葉は聞いたことがありましたが、 “生死”に関わるものだと
は思っていなくて……。エベレストを登るときに、食料や道具を運ぶためにある一定の道を何回も登ったり降ったりして徐々に体を慣らしてから登り始めないといけないっていうことも初めて知りました。どれほど登山が大変なものなのか、改めて聞いて驚きました。
──収録中、積極的に野口先生に質問されていました。
中田 野口先生とお話しできる機会なんて滅多にないので、経験や知識を得たいと思っていましたが聞けば聞くほど、自分には絶対(登山は)無理だなと(苦笑)。まったく知らない世界を知れたことが新鮮でした。
──授業では、野口先生の“人生の分岐点”というお話もありましたが、中田さんはご自身の半生を振り返ってみて、いかがですか?
中田 私は、乃木坂 46 からの卒業が自分の分岐点だと思っています。野口先生も“タイミングと分岐点の選択”というお話をされていて、「あのときの自分はどうだったかな」「その選択が正しかったのかな」「決断したときに、先の未来がちゃんと見えていたかな」など、当時の自分と照らし合わせながら授業を聞いていました。
野口先生が「ずっとキツい挑戦をし続けていると、それをやめたら何もなくなっちゃうんじゃないかと思った」といったお話をされていたのですが、実は私も乃木坂 46 の卒業を決断する前に、何もなくなってしまうのではないかと怖くなっていた部分もありました。
でも、野口先生は「将来の自分を想像できるかどうか」とおっしゃっていて、私も「麻雀店を作ろう」と自分の未来を決めてから行動したので、あの選択は間違っていなかったのかなと。これからも、何かを選択するときには突発的に行動せずに、将来の自分が見えるかどうかをしっかり考えていけたらいいなと思いまし
た。
──普段ちょっとした選択をするときにも、直感より頭で考えるタイプですか?
中田 結構考えるタイプではあるのですが、優柔不断すぎて、決めるのにすごく時間がかかってしまいます。例えば衣装を選ぶとき、用意されているものが全部かわいくて自分では決められず、マネージャーさんに「どっちがいいかな?」と聞いて決めてもらっていたりします(笑)。私の衣装のことなんて野口先生の挑戦と比べると、小さすぎて全然レベルが違いますが……。
──この番組をどんな人に見てほしいですか?
中田 野口先生は高校を停学になったときに登山家になる決断をしたと聞いて、若くても「挑戦しよう」という選択ができるのだと思いました。きっとどこかでタイミングや巡り合わせがあって、ふと自分の中に“湧いたもの”を掴みにいくことが大事なのかなと。なので何かに挑戦できずにいる方、楽しい日常を送りたいなと思っている方に見ていただきたいです。
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