【写真】“日本一美しいドラマー”大野真依の撮りおろしカット【10点】
──きみとバンドのドラマー、グラビアと双方の活動が活況。今では「日本一美しいドラマー」として大注目を集めていますが……。
大野 ん~(苦笑)。
──その反応が全てを物語っていますね(笑)。
大野 メディアにたくさん取り上げていただくようになってから、気づくとそう呼んでいただけるようになったんです。当然「そんなわけないだろ」って思われる方もいらっしゃるし、ガッカリされることもあります。私自身も全然当てはまらないなって思っていますね。
けど今となってはそれでも良いのかなって思うようになりました。キャッチーな言葉ですし、私を知らない方がその言葉を通じて気になり、私やバンドを好きになっていただけたら嬉しいことですから。呼んでいただけるうちは、たくさんそう呼んでほしいですね(笑)。
──各所で求められていることに対しては、どういうお気持ちですか?
大野 今たくさんの場所に呼んでいただけるのは、嬉しさもありつつ本当に不思議です。
──来るもの拒まずの精神なんですね。
大野 もちろんNGもありますよ。パンスト相撲とかは無理(笑)!
──また特殊なNGですね(笑)。では、その“気づいたら”今の大野さんになる前のお話しを。元々芸能界への興味はあったんですか?
大野 中学生ぐらいからファッション誌を買うのが好きで、いつしかモデルになるのが夢になっていました。ただ、地元が愛媛かつ今ほどネットやSNSも発達していない時代だったので、どうすればモデルになれるかがわからなくて。ひたすら事務所さんに履歴書を送って、全部落ちるという日々を過ごしていました。
ある日、愛媛に大きな事務所ができるとネットで見つけて、「ここのオーディションに落ちたらこの夢は諦めよう、最後の挑戦だ」と応募したんです。
──そのオーディション、つまり「2017ネクストブレークオーディションin四国」で賞を受賞し、晴れてデビューとなりました。
大野 トントン拍子で雑誌のレギュラーとか決まるかな?と夢見ていたのですが、全然仕事がなくて。ひたすらライブ配信をする日々を過ごしていました。
──入所の翌年、事務所所属の面々と音楽グループのメンバーに選ばれます。まさか最初の大きな仕事がミュージシャンとしてデビュー、しかもアコースティックギター担当。聞いた時はどう思いました?
大野 事務所の先輩にガールズバンドがいたので、そうした流れもあるだろうなと感じていました。何事も受け入れるタイプですし、何より拒むという選択肢がない状況でしたので、不安もなく「やってみよう」とすんなり受け入れて、練習に励んでいましたね。
──とはいえお披露目の会場はZepp DiverCityという大箱。ギター未経験の大野さんがそこに立つのはどういう心境だったのでしょうか。
大野 自分たちのデビューではありつつ、あくまで先輩バンドのライブのワンコーナー出演だったので特別な緊張はありませんでした。なんならどれだけの広さで、どれだけの方が来られるのかわからなかったので、怖さも嬉しさも感じないまま、気づくとステージに立って、ライブを終えていました(笑)。本当に無知って怖いなあと今になって思います。
その後の活動も、いろいろステージが用意されつつ、何かを目指すところまでグループが出来上がっていなかったので、上を見ずに楽しく活動していこうと、悩むこともなく活動していました。
──本当に“気づいたら”の連続なんですね。そうした中、意識が変化していくキッカケになったのは?
大野 2020年に清原梨央が加入して、「きみとバンド」として本格的に動き出してからです。本格的にバンドとしての形になり、デビューライブのチケットも即完売。今までにない経験に、みんなの熱量もドンドン上がり、「すごいステージを目指そう」と気持ちが変わったんです。
気持ちだけでなく編成も活動コンセプトも、「ゼロからの楽器」とガラッと変わり、それに合う楽器ということでドラムを叩くことになりました(笑)。教えてくださる松山市の青木ドラム道場の先生が「ドラムに向いているよ」といつも褒めてくださって。それが嬉しかったですし新しいことを体験する面白さもあって、どんどんドラムの楽しさにのめり込んでいくようになりました。
──結成から4年の間、色々と経験されてきましたが、バンドとしての忘れられない出来事・気持ちを変えた瞬間は?
大野 結成して半年後に開催した「47都道府県ワンマンツアー」は思い出深いです。
──ハイエース一台に乗り込み、約8ヶ月かけて全国のライブハウスを渡り歩いたツアーですね。
大野 このツアーはコロナ禍の中だったので、動員人数を制限して、その代わり1日に2、3ステージの開催だったんです。体力的にしんどく、同じ内容のライブを三回も見せられないからとMC内容と見せ方を毎公演変え続けて、それがもうとにかく大変でした。
けど、このツアー中、どれだけ失敗しても演奏に感情を乗せて届けることだけは忘れないようにしようという、「ガムシャラにやること」を守るようになって。それを意識し始めたら、ファンの方の盛り上がりが強くなっていったんです。大きく成長できましたし「ガムシャラにやること」は今ではきみとバンドの“らしさ”になりました。
あと一つは、一昨年夏に開催したZepp Hanedaのワンマンです。今までで一番大きな会場だったのにチケットも完売して。本番当日、客席にいるたくさんの方が目に入ってきたときは続けてきてよかったと思えたし、「頑張ればさらに上へ行ける、夢の武道館も遠くない」とギラギラした気持ちになれました。私たちのターニングポイントです。
──きみとバンドは、その夢である日本武道館ワンマン実現と同じく、インディーズガールズバンド史上初のZepp全国5大都市ツアー開催も目標としています。夢の舞台に向かって、どのように歩んでいきたいですか?
大野 バンドとして結成4年が経ちました。私からすると「もう4年!?」と思うくらいゆっくりした歩みです。でも色々チャンスはいただいてきて、Zepp Hanedaのワンマンライブがそれを最高の形で活かせた瞬間。ただ、それ以降の活動では同じような結果を残してきたとは思えなくて。
──もし今後Zepp5大都市ツアーを開催する事があれば、それだけの覚悟で臨むと。
大野 はい。今までにない焦りがありますが、綺麗な結果じゃなくてもいいのでとにかく成功させたい。今までは個々の活動で注目されると、「その仕事でファン増やすのってバンドとしていいの?」という声があったんです。少し前ならすごく気にしていた反応ですが、今はきみとバンドのために、なりふり構わず走らないと。
そのために今は私がバンドを引っ張っていくべきだと思っています。それぞれにチャンスをいただいてきた中、今チャンスをたくさんいただいている私が引っ張って繋げていける立場にいないといけない。この気持ちと勢いを絶やさないようにして全員で武道館に辿り着きたいですね。
(取材・文/田口俊輔)