互換機というと、多少年配の方はAT互換機のことだと思うだろう。若い方には、おそらく何の話だかわからないかもしれない。
簡単にいうと、過去には、同じマイクロプロセッサを使っているにも関わらず、ソフトウェアに対して「互換性」のないコンピュータがいくつもあった。
現在の標準的なプロセッサであるx64(IntelとAMD)の32 bit版であるx86では、結果的にIBMのビジネスが成功した。それをベースにしたIBM PC/ATの互換機に多数のメーカーが参入、結果的には、IBMは市場の制御権を失う。IBMに代わって台頭したのが、プロセッサメーカーであるIntelとソフトウェアメーカーであるMicrosoft、そしてCompaqなどの多数の互換機メーカーだった。
IBMは、異なるアーキテクチャの拡張スロットMicro Channelを搭載したPS/2(1987年。日本国内ではPS/55)を出荷するも、互換機の製造にはIBMからライセンスを取得する必要があり、IBM陣営には数社程度しか集まらなかった。逆に言うと、ほとんどの互換機メーカーは、PC/ATアーキテクチャにとどまった。
これはあくまでも米国の話。簡単にまとめると1988頃には、米国ではAT互換機が市場を制覇していた。
当時、日本では、どうだったのかというと、漢字表示の問題から、PC/AT互換機の普及が進んでいなかった。NECのPC-9801シリーズが大きなシェアを持ち、これを富士通のFMRシリーズ(松下とパナファコムがOEM販売を行っていた)が、追いかけるという状況だった。
ただし、当時、日本国内で製造されていたPCの半数以上は、輸出用のPC/AT互換機であり、多くの国内メーカーはPC/AT互換機の製造技術を持っていた。
国内に変化が起こるのはやはり1987年のことである。1つは、PC/AT互換機向けのディスプレイボードEGA(Enhanced Graphics Adapter)に日本語表示機能を付けたJEGAをベースにしたAX仕様が提案され、PC/ATベースの互換機導入が始まった。
もう1つは、同じ1987年にEPSONがNECのPC-9801シリーズ互換機である「PC-386シリーズ」を投入、国内にも互換機ビジネスが成り立ちはじめた。その後、シャープがMZ-2861用にPC-9801エミュレーターを開発、形式上、互換機ビジネスに乗り出す。そのほか、プロサイド(P-VS2)、TOMCAT(PC-3/X)、米国ASTリサーチ(PC-DUAL SX/16)などが参入を表明したが、最終的に製品を出荷して流通に乗ったのかどうかが、はっきりしない。
日本IBMは、1990年にMS-DOSのソフトウェアのみで日本語を表示するDOS/Vを導入、翌年、DOS/Vを利用するPC/AT互換機の日本語化仕様の普及団体として、OADG(The PC Open Architecture Developers' Group。PCオープン・アーキテクチャー推進協議会)を立ち上げる。このあたりで、日本にPC/AT互換機が導入されたと考えることができる。
翌1991年、Compaq社が12万円のPC/AT互換機を出荷する。これを「Compaqショック」と呼んで、NECなど国内メーカーに方向転換をもたらした原因とする記事は少なくない。
Windowsは、MS-DOSに代わるGUI環境としてユーザーに認知されてきたが、簡単に言うとPC/ATのハードウェアに依存した部分が内部にかなりあって、PC/AT以外への移植は、バージョンを重ねるごとに困難になっていた。NECも富士通も、その他のPCメーカーの多くは、小さくはない会社で技術力もあるものの、PC/ATという特定のハードウェアを前提に作られているWindowsの移植には苦労させられたという。
マイクロソフトは、MS-DOSまでは、OEM企業がMS-DOSを移植するための「移植キット」を提供していたが、Windows自体の開発に大きくリソースを取られ、自社ドライバーとWindowsバイナリを組み合わせて、インストールパッケージを作るキット程度しか提供がなかったようだ。
Windows内部には、ドライバとしてOSから分離されておらず、PC/AT固有のハードウェアを直接操作している部分もあったという。Windows 3.1までは、各社ともにWindowsを用意することができたが、ネットワーク対応で32 bitファイルシステムを持つWindows for Workgroups 3.1は、どのメーカーも出荷することができなかった。
Microsoftは、Windows 3.1の次に32 bit CPUを想定したChicago(Windows 95)が開発中であることを公開したが、その移植は困難をきわめることが予想された。また、複数のアーキテクチャを前提に開発が進んでいるWindows NTが、Windows 95系列と統合され互換性を持つまでには、しばらく時間がかかりそうだった。実際、部分的な統合は2000年のWindows 2000で、完全な統合は、2001年のWindows XPである。
このため、富士通は、1993年にPC/AT互換機ベースのFMVシリーズを導入、FMRシリーズからの転換を図る。NECは、1997年にようやくPC/AT互換機とPC-9801シリーズの両互換機であるPC98-NXを導入する。これにより、日本国内のパソコンは、PC/ATベース、正確には、マイクロソフト、インテルが中心に策定したPC-95(1994年)、PC-97(1998年)仕様ベースになっていたが……。
今回のタイトルネタは、互換 ⇒ 五感 ⇒ 第六感というわけでM・ナイト・シャマラン監督の「The Sixth Sense」(1999年)にした。かつてはPC/AT互換機の主要メーカーとして活躍したCompaq ⇒ 魂魄という意味も持たせた。