皆の「憧れの選手」となるクリスティアーノ・ロナウドやデビッド・ベッカムなどは、レベルの高いテクニックを持ちながら、髪型までがかっこいい。
しかし彼らほど見た目がかっこよくなくとも、サッカー界のトップに上り詰めた「ハゲている」選手は大勢いる。
今回は歴代最強のハゲのサッカー選手ベストイレブンをまとめてみよう。美男子コンテストに優勝することはまずないだろうが、どのサッカー大会でも優勝ができるはずだ。

GK:バルテズ
1994年から2006年にかけて、フランス代表のゴールを守ったファビアン・バルテズ。大柄な体格ではなかったが、圧倒的な瞬発力と機動力を持っていた。その武器が最も際立っていたのは、1998年と2000年、フランス代表がFIFAワールドカップと欧州選手権(ユーロ)で連続優勝を果たした時だ。
オリンピック・マルセイユ、モナコ、マンチェスター・ユナイテッドなどで大活躍したバルテズは、指導者としてサッカー界に残ると思われていた。しかし、引退後はモータースポーツに目覚め、全く新しい人生を歩み始めている。
サッカー選手時代から見られたバルテズの喜ぶ姿は、レースの世界でも目の当たりにできるという。彼は未だにハゲている頭にキスをされるのが大好きのようだ。

DF:サバレタ
2005年FIFAワールドカップU-20で、アルゼンチン代表のキャプテンとして優勝を果たしたパブロ・サバレタ。その時の素晴らしいパフォーマンスでスペインのエスパニョールに目を付けられ、ヨーロッパでプレーすることになった。
サバレタが最も輝いたのは、マンチェスター・シティのディフェンダーとして活躍した時代(2008-2017)だろう。2度のプレミアリーグ優勝を含め多くの勝利を重ねた。ガッツのあるプレーとアシストマンとしての実力でシティのレジェンド的な存在となっている。
2017年5月26日、他のリーグからのオファーを断り、プレミアリーグに残ることを優先してウェストハムに移籍したサバレタ。今年(2020年)1月10日にシェフィールド・ユナイテッドを相手にイングランドで300試合出場という目標を達成し、プレミアリーグで最も出場試合回数が多いアルゼンチン選手となった。

DF:スタム
現在はアメリカのMLSでシンシナティの監督を務めているヤープ・スタム。1997年、地元オランダのPSVアイントホーフェン所属時にチャンピオンズリーグ(CL)デビューし、当時マンチェスター・ユナイテッドの監督だったアレックス・ファーガソンに目を付けられた。
1998年にユナイテッドに移籍すると、1年目にもかかわらずスタメンとして活躍。レッド・デビルズ(ユナイテッドの愛称)は、スタムの守備力と共に同シーズン中45試合連続無敗を記録した上、リーグ、CL、FAカップで優勝、トレブル(1シーズンで3つの主要大会で優勝すること)を達成した。
その後はイタリアに渡り、ラツィオ(2001-2004)とミラン(2004-2006)でプレー。当時のセリエAでは強いフィジカルが求められ、プレミアリーグから移籍した選手は慣れるまでに時間がかかると言われていたが、192センチの身長と93キロの体重のスタムは何の苦労もなくすぐに慣れ、大活躍を続けた。

DF:マスチェラーノ
かつてのバルセロナのレジェンド、ハビエル・マスチェラーノ。2019年にアルゼンチンに帰国し、国内リーグのエストゥディアンテスでプレーしている。
マスチェラーノがブラウグラナ(バルセロナの愛称)に加入したのは2010年8月。しかし、すぐに活躍できたわけではなかった。当時の監督ジョゼップ・グアルディオラは彼よりセルヒオ・ブスケツを好み、控えメンバーとしての日々が続いた。
しかし、チームの要であったカルレス・プジョルの身体トラブルが続くと、マスチェラーノはシーズンの途中からスタメンとして起用され始め、チャンスを見逃さずに力を発揮していく。
バルセロナでは、リーガ優勝4回、CL優勝2回など、多くのタイトルを手に入れた。アルゼンチン代表選手としては147試合に出場し、インテルのレジェンドのハビエル・サネッティを超え、最も出場回数の多い選手となった。

DF:マイコン
2006年から2012年にかけて、インテルのユニフォームを纏ったマイコン・ダグラス・シセナンド。ネラッズーリ(インテルの愛称)が4回連続セリエA優勝を果たし、2009/2010シーズンにはトレブルまで達成できたのは、彼のようなサイドバックがいたからに違いない。
マイコンは長い間ブラジル代表の要の選手でもあり、2010年FIFAワールドカップではベストイレブンに選ばれている。しかし残念なことに、彼の時代のブラジル代表はかつてと比較しそこまでの強豪とは言えず、タイトルを手に入れることはできなかった。
現在マイコンは地元ブラジルのクラブ、クリシューマでプレーし続けているが、引退発表が近いと言われている。

MF:ベロン
フアン・セバスティアン・ベロンも、マイコン同様インテルに所属した時期もあった。しかし、彼が最も輝いたのは、パルマ時代とラツィオ時代だろう。
1998/1999シーズンのパルマには、ベロン以外にも、ジャンルイジ・ブッフォン、ファビオ・カンナヴァーロ、エンリコ・キエーザ、エルナン・クレスポなど、現在サッカー界のレジェンドと呼ばれるようになった選手が多く揃っていた。
彼らの大活躍によって、パルマはコッパ・イタリアとヨーロッパリーグで優勝し、CLでは4位にまで上り詰めている。当時のチームは未だに「奇跡のパルマ」と呼ばれ、中でもベロンは最も輝いた選手だったのだ。
ラツィオ(1999-2001)でも、ベロンは強い仲間に恵まれていた。ここでもコッパ・イタリアとヨーロッパリーグのタイトルを獲得し、ユベントスとの厳しい争いの末にスクデット(セリエA優勝)も手に入れた。

MF:カンビアッソ
インテルに所属した“ハゲ”の強者がやはり多い。エステバン・カンビアッソもマイコンと同期で、ネラッズーリのゴールデンチームのメンバーの1人。試合の読みとパススキルで多くの優勝に貢献した。
インテルで活躍した10年間(2004-2014)では、リーグ優勝5回、CL優勝、クラブワールドカップ優勝含め、16冠のタイトルを獲得している。
ネラッズーリ以外には、レアル・マドリード(2002-2004)、レスター・シティ(2014-2015)、オリンピアコス(2015-2017)でも活躍。
明るい性格で、アルゼンチン出身だがイタリア国籍も持ち、カンビアッソはイタリア国内のサポーター全員から愛されている。2009/2010シーズン、トレブル達成時にインテルの監督だったジョゼ・モウリーニョ(現在トッテナム・ホットスパーの監督)は彼についてこうコメントしている。
「カンビアッソの一番の特徴はハードワークです。やっているすべてのことに100%を出し切り、それが周りの選手全員に伝わります。これはインテルの強さの秘密の1つです」

MF:ジダン
1998年にフランス代表選手としてFIFAワールドカップ優勝を果たし、バロンドールまで受賞したジネディーヌ・ジダン(現在レアル・マドリード監督)。彼はプレーのエレガンスさ、パスの性格さ、素晴らしいドリブルスキルで、ユベントスとレアル・マドリード両チームにとってのレジェンドとなった。
ビアンコネーリ(ユベントスの愛称)では、CL優勝にはたどり着けなかったものの、フランスのボルドーからイタリアに移籍した1996年の夏からすぐに実力を発揮し、2シーズン連続でセリエA優勝を果たすなど、栄光の時代を迎えた。
ユベントスのサポーターは、1997年4月6日の喜びを忘れられないだろう。ジダンの素晴らしいパーフォーマンスによって、ミランのホームで1-6で勝利した日だ。
その後(2001年7月)ジダンはレアル・マドリードに移籍。4600万ポンド(およそ60億9000万円)という巨額な移籍金は、当時の史上最高額だった。
マドリードでは、ラウル・ゴンサレスやルイス・フィーゴといったスーパースター選手と組み、多くのタイトルを獲得。イタリアでは果たせなかったCLのトロフィーまで手に入れることができた。

MF:グラベセン
エバートン(2000-2005)やレアル・マドリード(2005-2006)などでプレーした元デンマーク代表のトーマス・グラベセン。
上記の選手と比べ、獲得タイトル数では完全に劣る(セルティック時代スコットランドリーグ優勝1回のみ)。しかし、どんなチームにもイレブンの中には図太く諦めない選手が必要だ。
グラベセンは優れたテクニックの持ち主でありながら、その激しいプレースタイルからは「狂犬」の愛称で呼ばれ、認められるようになった。
レアル・マドリードでは守備的ミッドフィールダーの役割を任され、チームのバランスは非常に安定した。チームの柱となると思われていたが、2006年8月、練習中チームメートであったロビーニョに危険なタックルを仕掛けたことがきっかけで、スペインを去ることになっている。
現在はサッカー界を離れ、アメリカのラスベガスでカジノを運営しながら、毎日ポーカーを楽しんでいると言われている。

FW:ロッベン
36歳で引退から復帰宣言し、古巣であるオランダのフローニンゲンに戻ったアリエン・ロッベン。現在は2020/2021シーズンに向けてコンディションを上げるために、数週間の特殊トレーニングを行っている。
ロッベンは、チェルシー(2004-2007)とレアル・マドリード(2007-2009)で活躍後バイエルン・ミュンヘンに渡り、1シーズン目から背番号「10」を背負うことになった。
ロッベンの最大の武器は驚異的なスピードであり、2014年FIFAワールドカップではサッカー史上最速スピードを記録した。オランダ代表がスペイン代表を相手に5-1で勝利した試合で、5得点目の際のロッベンのトップスピードは時速37キロだったという。

コレル
グラベセン同様、CLやELなど、大きな大会の優勝経験はないが、ボルシア・ドルトムント(2001-2006)で活躍していたヤン・コレルは、どのクラブもが欲しがりそうな理想のセンター・フォワードであった。
202センチの身長と108キロの体重でありながら、スピードも瞬発力も兼ね備えていたコレル。最大の武器はやはり身長を生かした空中戦で、それによって多くのチームのディフェンダーを負かし、たくさんの得点を挙げた。
コレルはチェコ代表選手としても大活躍。91試合中55得点を決め(1試合あたり、1.6ゴール)代表歴代1位のストライカーとなった。