【あの人は今こうしている】
水道橋博士
(お笑い芸人で元参議院議員/62歳)
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お笑いコンビ「浅草キッド」として人気を博し、エッセーや評伝の書き手としても活躍。3年前にはれいわ新選組から国政選挙に打って出て当選し、参議院議員になった。
「体調はとても良いです。議員辞職後に半年休養し2023年の8月18日──僕の61歳の誕生日に高円寺で行ったトークイベントで復帰しました」
JR高円寺駅そばにある、行きつけの居酒屋カフェ「じっこ」で会った水道橋博士さん、まずはこう言った。
復帰後は「虎人舎」という会社をつくって、興行師としてイベントを企画・演出・出演したり、昨年は書評本「本業2024」(青志社)を出版したりで、「現在はタレント時代の平均の3分の1くらいの収入ですね」。
「議員辞職後は精神疾患についての体験本『うつ病と言う名の樹海(仮)』を執筆中で“運動、会話、銭湯”がうつ予防の3原則だと仮説を立てて実践しています。銭湯は年間300日目標で通っていて、行きつけの銭湯の隣にあるコワーキングスペースを僕の勉強部屋として、毎日、noteに書く日記や本、イベントの台本の原稿などを書いています。もともとボーッとしたりノンビリできないワーカホリック体質なので、夜は仕事をしないと決めて、高円寺近辺のバーで深夜まで必ず飲んでいます。それでも5時間弱の睡眠で必ず起床します。もともとショートスリーパーです」
博士さんは現在、中野区在住だが、杉並区高円寺は議員辞職するまで22年間住んだ馴染みの土地。それで、今も高円寺をベースに暮らしているのだ。
「高円寺では地下1階、地上4階の戸建てに住んでいました。
思い入れのある我が家。家族の気持ちは複雑だろう。博士さんは02年、12歳年下の一般女性と結婚。現在、22歳になる長男、18歳の長女、16歳の次男の3人の子どもに恵まれたはずだが、「今、“第4次離婚危機”を迎えている」という。
政治への関心・信念は変わっていません
「熟年クライシスです。先日、区役所に離婚届を取りに行ったら担当者に30分説得され、思いとどまったところ。でも別居はする予定です」
子煩悩で知られた博士さん。一人は寂しかろう。
「昔に比べれば、子どもも成長したし、ボクの方も子離れもできるようになってきました」
さて、岡山出身の水道橋博士(本名:小野正芳)さんは高校卒業後、上京し明治大学に入学するも4日で中退。心酔していたビートたけしに弟子入りし、1987年、同じくたけしの追っかけの玉袋筋太郎と「浅草キッド」を結成。とがった笑いで支持され、92年、バラエティー番組「浅草橋ヤング洋品店」(テレビ東京系)で幅広い人気を獲得した。
「相棒とは去年10月、『キッドリターン』というイベントをやりました。
6月28日、主演ドキュメンタリー映画「選挙と鬱」が公開される。
「この映画はボクの参院選に密着したドキュメンタリーでしたが、ボクがうつ病を罹患して辞職した後もカメラを回し続け、Uber Eatsの配達員になりながら回復していくさまを記録しています」
また選挙に出る考えはあるのだろうか。
「今も政治、政局には関心を強く持っています。参議院議員時代は政策秘書を決めないまま、1年生議員なのに、4つも委員会を抱えて、僕にはキャパオーバーになりました。僕に投票していただいた人には、ひとりひとりに謝罪したいです。でも、今も政治は社会的弱者を助けるためにあるべきだ、という信念は変わりません。国政に限らず、いつかどこかの選挙に出るかもしれないとは思っています」
(取材・文=中野裕子)