【その日その瞬間】


 上重聡さん
 (フリーアナウンサー/44歳)


  ◇  ◇  ◇


 昨年、フリーに転身した元日本テレビの人気アナウンサー、上重聡さん。甲子園の名勝負である1998年夏の大会の準々決勝、PL学園対横浜で松坂大輔と投げ合った高校球児として知られる。

思い出の一戦の瞬間を振り返る。


 ──PL学園は春の大会では準決勝で横浜に敗退しました。そして迎えた夏の大会では準々決勝で再び対戦します。


 春に負けてからは、松坂を打たなければ全国制覇はないとわかったので「打倒横浜、打倒松坂」をPL学園の目標に、夏の大会まで練習しました。だから、夏のあの試合は春からのストーリーがあったんです。勝ち進めばいつかは横浜と当たると思っていました。


 ──よその横浜戦で上重さんは七回から登板しました。


 前日の試合で僕は完投していたのでベンチにいましたが、松坂対策の特訓が生きて二回に3点をとり、チームメートながら、「すごい! カッコいい!」と思いました(笑)。僕は前日に「リリーフでいくぞ」と監督から告げられていたので、同点の七回から予定通り登板。僕も3カ月間、これ以上できないくらいに練習してきたので「3イニングをきっちり抑えるぞ」と強い気持ちでのぞみました。まさかあんなに長く投げることになるとは……(※延長十七回までの11イニングに登板)。


■延長17回の死闘。

悔しさより終わってしまう寂しさが


 ──延長では十一回と十六回に両校ともに1点ずつとりました。


 印象に残っているのが十二回から十五回までゼロ(0点)に抑えたことです。高校野球はチェンジの際にマウンドにボールを置いていくので、僕がマウンドに置いたボールを松坂が手にして投げる。次は松坂が置いていき、僕がそのボールを使う。松坂は春の大会からスポーツ紙に載るくらい有名でしたから、負けて以来、ずっと意識して練習してきましたし、時には松坂の投げ方を真似してみたりと憧れもありました。もちろん話をしたことはなかったですが、十二回以降は「俺もゼロに抑えたぞ。次はおまえの番だ」とボールを介して会話していたような感覚を持てたんです。「俺、あの松坂と投げ合ってる」という充実した気持ちでいっぱいで、正直この時間がいつまでも続いてほしいと思っていました。


 ──十六回に1点ずつ取り合い、十七回で決着がつく死闘でした。


 実は十五回が終わった時、高校野球連盟の方から両ベンチに「18回引き分けになった場合は明日午後1時から再試合をやります」と告げられました。その時僕らは「松坂は完投するだろうから、明日は投げない」「松坂が投げない横浜に勝っても意味ない」「だったら今日決めなきゃな!」という会話になったんですよ。もしかしたら横浜も今日決着をつけたいと考えたのかもしれません。

それがゲームが動くきっかけになったのかも、と。僕らとしてはそのくらい松坂を打って勝つことが目標でした。


 でも、僕が十七回に失点して負けてしまいました(※横浜高校は同年春夏連覇)。僕はその時、充実感と試合が終わった寂しさがあって、悔しさはなかったんです。投げ合いが楽しくて、ずっと続けていたかったから「勝ちたい」という気持ちがなくなっていた。「勝ち負けを超えた感覚ってこんな感じかな」と思いました。この話をPLの先輩にしたら「そんなこと思っているからおまえら負けたんだ」と言われましたが(笑)。



立教に進学して史上3人しかいない「完全試合」達成

 ──ドラフトの誘いもあったが、進学を選び、立教大学では六大学野球100年の歴史で3人しかいない完全試合を達成しました。


 松坂と投げ合った男になれたことが自信になると同時に、プレッシャーにもなってしまい、「プロは松坂のような人が行くところ」とプロは諦め進学を決めたんです。大学1年ではプレッシャーからイップスになりました。どうにか克服して完全試合をやり、「俺はプロに行ける!」と思い直したら、今度は「完全試合した男」がプレッシャーになりました。2度目のプレッシャーを克服するにはさらなるパワーが必要でしたが、僕にはその力がなく「自分にはプロに行く力が足りない」と断念。

そして、日本テレビを受けましたが、心のどこかに野球を断ち切れない気持ちがありました。


 初めて巨人の取材に行って、ブルペンで上原浩治さんの投球を見た時、すごいスピードとキレに度肝を抜かれました。「やっぱり自分が来るべき世界ではなかったんだ」とはっきりわかった瞬間でしたね。


 ──長年勤めた局を退社後はその上原さんの人気ユーチューブでMCに。


 ユーチューブにゲストで呼ばれた時期に、MCを務めていた日テレの後輩、上田まりえさんが辞めるタイミングで、野球経験者で松坂世代の僕が後任になりました。実は高3の時に巨人から「ドラフト指名に興味ありますか」という進路調査書がきていたんです。もし提出していてドラフトで下位でも指名していただけていたら、当時、大卒の上原さんと同期入団となっていたんです。ですから、不思議な縁を感じます。


 ──松坂さんとも縁が続いているようですね。


 松坂とは高校の代表チームの時に1カ月を同室で過ごして仲よくなり、西武と立教が埼玉にあるので、よく会っていました。もう27年くらいの仲です。上原さんのユーチューブにもゲストで来てくれます。

すべては野球が結びつけてくれた縁ですから、今後は野球に恩返ししたい。この前、松坂と一緒に子供の野球教室に行ったのですが、そういう活動をどんどんやりたい。松坂の提案で98年の横浜とPLのメンバーで集まって何かやろうという話もしています。こちらは野球かゴルフかはわかりませんが(笑)。 


(聞き手=松野大介)


▽上重聡(かみしげ・さとし)1980年5月、大阪府出身。2003年から日本テレビのアナウンサー。24年に退社しフリーに。登録者100万人超のYouTube「上原浩治の雑談魂」MCなど。


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