1954年に開場し、新劇の殿堂として日本の現代演劇を牽引してきた六本木のランドマークともいえる俳優座劇場。その閉館作で、開場以来一度も上演されたことのないシェークスピア単独執筆最後の作品。
ミラノ太公プロスペロー(外山誠二)は学問に熱中するあまり、政務を弟アントーニオ(浅野雅博)に任せたために、アントーニオはナポリ王アロンゾー(藤田宗久)と結託し、王位を簒奪(さんだつ)。プロスペローと幼い娘ミランダ(あんどうさくら)を追放する。孤島にたどり着いたプロスペローは魔法を研究し、島の精霊エアリエル(平体まひろ)を召し使いにし、島の持ち主の後継者で怪物のキャリバン(藤原章寛)を奴隷にして、復讐の機会を待つ。そして12年後、アントーニオ、ナポリ王と王子ファーディナンド(田中孝宗)らを乗せた船が島の近くを通ると知り、魔法で嵐を起こして船を難破させる。
王の一行と離れ離れになったファーディナンドは、ミランダと出会い、恋に落ちる。一方アントーニオはナポリ王の弟セバスチャン(金子由之)を唆して王殺害を謀り、キャリバンもまたプロスペローを密かに狙うが……。
物語はエアリエルの力ですべての暗殺計画は未遂に終わり、プロスペローは娘を王子と結婚させ、アントーニオとも和解する大団円で幕を閉じる。暗殺者たちにざんげの気持ちや謝罪がまったくないのに、すべての行いを赦(ゆる)そうとするプロスペローの姿が示すのは憎しみの連鎖を止めるには「無限の赦し」を必要とすることだ。
劇団俳優座が俳優座劇場最後の公演に同じくシェークスピアの「リア王」を翻案した「慟哭のリア」を上演したが、2つの作品は、「復讐=悲劇」と「赦し=喜劇」という対をなすものだ。
プロスペローが支配した孤島は当時のイギリスの植民地の比喩であり、エアリエル、キャリバンを解放したのは、植民地の解放と読める。プロスペローは最後にこう言って客席に拍手を求める。
「祈りの助けがこの身に必要。
混乱と戦禍が続く今の世界にシェークスピアの言葉が二重写しになる。
シェークスピアの時代から400年。俳優座劇場が「テンペスト」が掲げる世界の協調・融和という理想を最後の舞台に乗せたことは意義深い。
出演者は俳優座、文学座、文化座、劇団昴、演劇集団円、青年座など築地小劇場以来の「人間と社会の理想」を掲げてきた新劇団体の俳優たち。新劇の殿堂の最後にふさわしい舞台だった。
小笠原響の緻密な正攻法の演出、なによりも膨大なセリフをものともしない外山誠二の口跡の鮮やかさと存在感に圧倒された。平体まひろ、藤原章寛の身体性に根ざした演技も特筆もの。翻訳は小田島創志。19日まで。
★★★★★
(山田勝仁=演劇ジャーナリスト)