【1975 ~そのときニューミュージックが生まれた】


 序論:1975年の「ニューミュージック」を今語るべき理由②


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 拓郎、陽水、ユーミンという「GREAT3」が君臨し、達郎、浜省、みゆき、永ちゃんという「BIG4」がデビューした1975年。音楽シーンを取り巻く時代全体は、どんな雰囲気だったのか。


 私の小3の頃の記憶をたどると、今=2025年に近い時代の空気が浮かび上がってくる。


 つまり、ちょうど半世紀というタイミングに加え、今にも通じる時代の中で生み出された音楽だからこそ、今、振り返る意味も価値もあると思うのだ。


 まずは何といっても、今と同様に景気がメタメタに悪かった。


 73~74年のいわゆる「オイルショック」の打撃は深刻で「不景気」「物価高」「インフレ」のような文字が、毎日の新聞紙面に飛び交っていたと記憶する。


 そういえば、当時の大阪によく発生した「光化学スモッグ」は、「空気を恐れる」という意味で、コロナに近いものがあった。スモッグとは、大気汚染によって、夏の暑い日に空気がかすんでしまう現象のこと。


 光化学スモッグの注意報が出たら黄色い旗、警報が出たら赤い旗が校門に掲げられ、体育の授業が中止になる。運動が苦手な私はラッキーと思ったものだ。


 そういえば「沖縄海洋博」もこの年だった。72年にアメリカから返還された沖縄で行われた、いわゆる「万博」。大盛りあがりだった70年の大阪万博から、たった5年しか経っていないことが影響したのか、そもそものコンテンツの問題か、評判があまりよろしくなかった点については、今の大阪・関西万博とちょっと似ている。


 そんな中、この年発売の大ヒットといえば、レコード大賞を取った布施明「シクラメンのかほり」に、小坂恭子「想い出まくら」、沢田研二「時の過ぎゆくままに」など。

つまりは、先のような時代背景に合わせて、内省的でジメッと暗い曲がヒットしたのだ。


 また拓郎・陽水風のフォーク調が、音楽界全体に浸透していたこともよく分かるラインアップである。


 ……とまぁ、そんな時代だったのだ。「歌は世につれ」で、今後この連載で紹介していくヒット曲たちが生まれた前提として、令和7年にも似た、こんな重苦しい時代の空気があったということは、知っておいていただきたいところである。


 あっ、サイゴンが陥落して、ベトナム戦争が終わった年でもあったな。75年が50年後の今と本当に共通するのなら、ロシアとウクライナ、イスラエルとパレスチナの戦争も終わってほしいと心から願う。 =この項つづく


▽スージー鈴木(音楽評論家) 1966年、大阪府東大阪市生まれ。早大政治経済学部卒業後、博報堂に入社。在職中から音楽評論家として活動し、10冊超の著作を発表。2021年、55歳になったのを機に同社を早期退職。主な著書に「中森明菜の音楽1982-1991」「〈きゅんメロ〉の法則」「サブカルサラリーマンになろう」など。半自伝的小説「弱い者らが夕暮れて、さらに弱い者たたきよる」も話題に。

日刊ゲンダイでの好評連載をまとめた最新刊「沢田研二の音楽を聴く1980-1985」が絶賛発売中。ラジオDJとしても活躍。


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