【増田俊也 口述クロニクル】
写真家・加納典明氏(第21回)
小説、ノンフィクションの両ジャンルで活躍する作家・増田俊也氏による新連載がスタートしました。各界レジェンドの一代記をディープなロングインタビューによって届ける口述クロニクル。
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増田「今になって考えるとニューヨークへ行くか行かないかは人生の大きな分岐点だったと」
加納「そう。ニューヨークの芸術狂乱のあの時期に、あそこに住み続けたらどうなってただろうと。向こうの芸術家たちに『加納、おまえ絶対ニューヨーク合うから来いよ』って何人にも言われた。だから俺も、いいな、こっちで俺の写真力っていうか、俺の能力、試してみたいと思った。でも、以前言ったように、東京帰ってきて『FUCK』で人気が出ちゃって仕事が殺到してニッチもサッチもいかなくなった」
増田「僕も本当に人生はあみだくじみたいだなって思いますね。あっちの道を選んだらどうだったろうという無限の選択」
加納「まったくね。だからこそ面白いんだろうけどね」
増田「畑さんが2023年に亡くなったときはやっぱりショックを受けましたか」
加納「いや、彼は自分を楽しんだ人だから。大いに自分のその能力を試した。そしてやりきった。それがこう、文化的に、科学的にどこまで意味あるかとか、そういうつまんない次元のことじゃなくてさ、1人の人間の生きざまとしては十分だったと俺は思うんだ」
増田「亡くなった時は特に悲しいっていうよりも」
加納「そうそう。誰でも寿命があるから。
増田「表現者としてあのようにありたいと」
加納「そうだね。彼の書いたものは、いわゆる純文学ではない。エンタメでもない。随筆が中心です。その読者っていうのは哲学者とか文化人ではなくて、多くの人にわかりやすく書いてある。彼自身はものすごく頭が切れて複雑な人物なんだけど、それを誰にでもわかるように噛み砕いて書いている。明快に事実を展開して中学生ぐらいなら十分わかるように書いた」
①「畑文学」のすごさとは…
増田「彼はほんとうは純文学をやりたかったけども、東大の大学院生時代に挫折しています*」
※ムツゴロウと純文学:畑正憲は東京大学時代はもともと純文学を志して習作を繰り返していた。しかしある日、某誌に掲載されていた東大の現役学生の短編小説を読み、あまりのレベルの高さに「俺にはこんなものは生涯かけても書けない」と衝撃を受けてエッセイスト志望に転じた。その東大の学生とは後にノーベル文学賞を受賞する大江健三郎であった。
加納「でも、彼が残した著作物はそれを大きく超える成果を出していると思う。彼の自然体だったと思うな、俺は。
増田「加納さんが王国で暮らしている4年間は、石川次郎さんとかが『そこの生活を書けよ』みたいなことは言ってこなかったですか」
加納「うん。あんまりそういうのなかったね」
増田「じゃあ石川さんだけじゃなくて、いろんな人が自由にさせてくれた時期なんですね」
加納「そうだね。そういう話も何となくあったと思うけど、俺はもうあんまり関わろうとしなかった」
増田「よほど疲れていたんですね」
加納「王国に著名人とかが連れてこられて雑誌編集者に畑さんと対談させられたりしてるんですよ。俺はそれを横目で見てるぐらいのもんで、一切関わる気がなかった。俺は俺なりに淡々とあの時代生きてたってことだろうと思うの」
増田「もしかしたら畑さんは全部わかってて、大きく加納さんを包みこんで、自由に遊ばせていたのかもしれませんね」
加納「そうかもね。彼に出会えたこと、そして彼との王国での思い出は人生の宝物ですよ」
(第22回につづく=火・木曜掲載)
▽かのう・てんめい:1942年、愛知県生まれ。19歳で上京し、広告写真家・杵島隆氏に師事する。その後、フリーの写真家として広告を中心に活躍。69年に開催した個展「FUCK」で一躍脚光を浴びる。グラビア撮影では過激ヌードの巨匠として名を馳せる一方、タレント活動やムツゴロウ王国への移住など写真家の枠を超えたパフォーマンスでも話題に。日宣美賞、APA賞、朝日広告賞、毎日広告賞など受賞多数。
▽ますだ・としなり:1965年、愛知県生まれ。
(増田俊也/小説家)