【私の秘蔵写真】
春風ひとみさん
(女優〈元宝塚〉/64歳)
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春風ひとみさんは宝塚の娘役で活躍し、退団後は舞台を中心に活動を続けているが、子役時代に芸能界を代表する今は亡き超大物たちとの出会いがあった。その貴重な写真について語った。
私は宝塚出身ですが、子役をやっていた時代があります。きっかけは弟です。私が2歳の時。母に手を引かれ、弟も一緒にデパートに出かけたら、弟がスカウトされ、日活の「こんにちは赤ちゃん」(1964年)に赤ちゃん役で出ることになりました。
うちは芸能界とはまったく縁のない鰹節の問屋でしたけど、弟が映画に出ることになって母親は付きっきりになり、私も撮影所にくっついて行きました。そこで監督さんから「せっかく、お姉ちゃんも来てるんだから、何かやればいいのに」と言われ、「こんにちは赤ちゃん」に出ていた和泉雅子さんが劇団若草にいらして、紹介していただくことになりました。
私が4歳の時に「東芝日曜劇場」の「アポイの休日」というドラマに出ました。北海道、日高山脈のアポイ岳を舞台にしたドラマです。全国を蜂飼いしながら回っている男がアポイの集落にやってきて、ろうあの少女と交流する物語です。蜂飼いを宇野重吉先生、少女を私が演じました。私の両親役は佐野浅夫さんと佐々木すみ江さんでした。みなさん劇団民芸の方で、脚本は松山善三さん、小南武朗さんが監督を務めた芸術祭参加作品です。
オール北海道ロケで私はずっと宇野先生と一緒でした。その頃は宇野先生がどんなにすごい方かなんてわからないから、おじいちゃんだなと思って見ていましたけど。でも、まだその当時50歳くらいでいらしたんですね。
撮影には母もついて来てくれました。子供なのでよくわかっていませんから、後から撮影の時のことを聞きました。待ち時間が長く、みなさんのやりとりを見ていたら、佐野さんはよく監督と相談されていたけど、宇野先生は穏やかで寡黙。台本を読まれていることが多かったそうです。
「子役を長く続けるのはよくないと思うな」
今でも覚えているのは、私が宇野先生の手を引っ張ってアポイ岳を登るラストシーン。何千匹ものモンシロチョウが下からバッと飛び立っていく。スタッフが籠いっぱいに集めたチョウを一斉に解き放つのですが、あれは大変なシーンだったと思います。一発でOKにならなかったらどうなっていたんでしょうか。スタッフは大変だったでしょうね。
このドラマの時の写真が何枚も残っているんです。ある出来事があって蜂に刺され、頭に包帯をグルグル巻いている私が宇野先生と話をしている写真もあるし、これは今も私が楽屋の化粧前に飾っている思い出の写真です。
このドラマが忘れられない理由もあります。母親が宇野先生にこう言われたそうです。
「子役を長く続けるのはよくないと思うな。何よりもまず普通の生活をすることが大事です。大きくなってお嬢さんが本当に女優になりたいと言ったら、その時はご両親がサポートしてあげればいいですよ」
両親はきちんと学校を卒業して、短大くらいは出た方がいいと思っていたので、宇野先生にそう言われ、私は劇団をやめることになりました。後から聞いた話です。私は劇団をやめて普通に小中学校に通いました。
宇野先生とはもう一つ、私にとって人生の決定的な出会いがあります。後に宝塚に入り、宝塚をやめるきっかけも宇野先生なんです。宝塚音楽学校で2年勉強して、歌劇団に入団してからは8年が過ぎ、10年経って新しいお芝居に挑戦したいと考えていた時期でした。
どうしても見たいと思ったので、自分からお願いしてチケットを取ってもらい、母に「宇野先生が出ているから見に行ってくる」と言ったら、「アポイ」の時に撮った写真を送ってきてくれたんです。「これを持って行って、宇野先生に挨拶しなさい。民芸の方が覚えているはずだから」と。
私としては畏れ多いと思いましたが、守衛の方に事情を話して入れてもらい、楽屋の裏で待たせていただきました。その日の公演の反省会で宇野先生がダメ出ししている声が聞こえて、ドキドキしました。
出ていらした宇野先生にこの写真をお見せしたら、完璧に覚えてらして、「へえ、あの時の?」と驚かれて。先生に「ところで、今、何やってるの?」と聞かれたので、「宝塚にいます」と答えたら、「もしかして役者やりたいの?」と言われ、「はい」と答えたら、「役者をやりたいならそろそろ卒業かな?」と先生がおっしゃって。私は楽屋からの帰り道に宝塚卒業を決め、翌日退団届を提出しました。
宇野先生に会いたいと思ったのはたまたまだし、それで実際にお会いできたのは奇跡的です。しかも、貴重なアドバイスをいただいた。あの先生の言葉があるから、今の私がある。
ただ、その後、宇野先生とご一緒する機会はなかったですね。先生は亡くなる前も全国をお芝居で回っていらして、私も忙しくしていて、うかがうことができなかった。それだけが心残りで、残念です。
越路吹雪さんに抱っこされたことは女優人生の大きな自信
もう一つのかけがえのない出会いも子役時代です。越路吹雪さんとミュージカルでご一緒することができた。東宝のミュージカル「王様と私」です。
王様は市川染五郎さん(現・松本白鸚)、アンナが越路さん、タプチムが淀かほるさん、皇太子役が岡崎友紀さんでした。私はちっちゃい王女様の役をやりました。
この時の記憶も強烈です。ステージで子供たちが越路さんの横に並ぶんですけど、私の隣にいた子の床がだんだん濡れていく。おかしいなと思ったら、お漏らししてたんですね。
私の記憶違いもあるかなと思って、当時プロデューサーだった方に後で確認したら、「その通りだよ」と。それからは開演前には子供たちを必ずトイレに連れて行くようにされたそうです。
越路さんの記憶はカツラですね。いくつもカツラをかぶり直すので、舞台裏にカツラがズラッと並んでいた。すごい数でした。それがさらし首みたいで、子供心に怖くて近づけなかったですね。
越路さんも宇野先生とは通ずる面がありました。越路さんもいつも別室にいらして、周囲の方と騒いでいたり、話をしている姿を思い出せないんです。子供でもわかるくらいのオーラを感じたし、まさに別格。
越路さんとの写真は2枚あります。越路さんと舞台に並んで立っている写真は楽屋にいつも飾るようにしています。
もう一枚は正確には写真ではなくて、「王様と私」とかの舞台の時に、雑誌に載ったものを切り取ったものです(秘蔵写真②)。
私は5歳。越路さんは去年が生誕100年でこの時40歳前後。シャンソンの女王としてのご活躍はもちろん、海外の有名なミュージカル作品に次々と主演されていた時代の写真だと思います。
越路さんに抱っこしていただいたことは私の女優人生の大きな自信になっています。舞台でどんなにおじけづきそうになっても、あの越路さんに抱っこされたんだから大丈夫と、言い聞かせるようにして。
私の楽屋に越路さんと写った写真があるという噂が噂を呼んで、見せてくれと言う人も多いです。ある時、東宝のお偉いさんが見にこられたことがあって。抱っこした写真を見せて「どこの雑誌か、カメラマンもわからないけど、機会があったらみなさんにお見せしたい」と言ったら、「古過ぎて僕らもわからないから、オープンにしてもいいんじゃないか。名乗り出た人がいても説明すればわかってくれるよ」と言われました。
この当時、越路さんは宇野さんと組んで民芸の舞台にも何本か出てらっしゃいます。この時代のことをお話しできるのは多分、私の世代がギリギリかもしれませんね。
7月には「千と千尋の神隠し」の上海公演があります。昨年から湯婆婆/銭婆(ゆばーば/ぜにーば)役で出演しています。演出は世界的に有名なジョン・ケアードです。先にミュージカル「ジェーン・エア」でご縁があり、そして「千と千尋」にもお声がけをいただきました。昨年はロンドン公演、そして今年は上海公演。宮崎駿作品は中国でも大人気だそうなので、舞台版「千と千尋の神隠し」も、お楽しみいただけたらと思っています。
(聞き手=峯田淳)
▽春風ひとみ(はるかぜ・ひとみ)1960年、東京都出身。2~5歳は劇団若草で子役として活躍。77年、宝塚音楽学校に65期生として入学、娘役で活躍。88年退団、舞台を中心に活動。舞台「千と千尋の神隠し」の上海公演は7月14日~8月17日の日程で行われる。