【あの人は今こうしている】


 宮崎ますみ
 (元女優/57歳)


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 80年代、クラリオンガールや映画「ビー・バップ・ハイスクール」(東映)シリーズなどで華々しく活躍していた宮崎ますみさん。出演したNHK連続テレビ小説「チョッちゃん」は現在、BSで再放送されている。

最近の姿をテレビで見かけなくなったが、今どうしているのか。


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 宮崎さんに会ったのは長野県茅野市。JR茅野駅から車で30分弱走った八ケ岳の麓、緑豊かな田園風景の中に立つ2階建てのログハウスだ。


「2019年末に、ここから車で15分の別荘地区に横浜から単身で移住してきました。私は名古屋出身ですが、幼少期の夏休みなどは長野の別荘に滞在していたので、こうした環境は私にとって“原風景”。子どもたちが巣立ったので、あの頃のように自然のなかで、本来の人間らしい生活を送りたいと思って来ました。まずは日本人の原点のお米を作ろうと田んぼを1反借り、完全オーガニックな米作りの名人に学びながら農作業を始めました。友人や障害のある子どもらに手伝ってもらいながら、田植えも稲刈りも手作業でしているんですよ。2年前に譲り受けたこのログハウスを拠点に、同じ志を持つ仲間で集まり、自分たちの力で生きていける場作りをしていきたいんです」


 宮崎さん、米だけでなく、畑で野菜も作っているという。都会派女優のイメージだっただけに意外だが、農作業をしている割に顔色はつやつや、シミもシワも見えない。


「お化粧で隠しているんです(笑)。今日は久しぶりにしました。

明るく見えるのは、健康的な生活のおかげ。朝5時に起き、白湯を飲みヨガや呼吸法で身体を整えた後、7時から朝食を作っていただきながら、『さあ、今日は何をしようか』と考えます。夜はベランダで満天の星や月の下でそよ風に吹かれ、カエルやキジの声を聞きながら、しみじみ満たされているなと感じています」


 緑に囲まれ、スローライフを満喫しているようだ。


■新しいパートナーとは入籍の予定なし


「37歳で乳がんになったのを機に、生き方を見直しました。標準治療が身体に合わず10カ月でやめ、代わりにインド哲学に基づく、身体と心、魂を調和させるホリスティックな取り組みで元気になりました。ヒプノセラピー(催眠療法)に学びを広げ、何年も前からヒプノセラピストとして全国で養成講座を開催してきました」


 この7月からは、古くからの友人である食養生の研究者をこのログハウスに招き、毎月第1土日に講座と実践のイベントを一般向けに行う。


 米ロサンゼルスで働く息子たちも正月には“帰省”し、一緒に過ごした。


「26歳のとき、15歳年上のカメラマンと結婚し、夫の拠点の米国で2人の息子を産み育てたのですが、乳がんの後、離婚し、息子を日本で育てていました。その息子たちは大学から米国へ戻り、30歳の長男は映像編集、次男はADとして働いています。子どもとは深いところでつながっているので、寂しくありません」


 八ケ岳移住後、新しいパートナーとの出会いもあったのだとか。


「籍を入れることに興味はありませんが、1人でいるよりも、互いに切磋琢磨しあえて成長できますよね(笑)」


 さて、クラリオンガールとして一躍有名になった宮崎さん。きりっとした顔立ちとツッパリ演技で、「ビー・バップ・ハイスクール」では多くのファンを獲得したものだ。


「『ビー・バップ──』の出演者は、まだ初心者ばかり。みんなでワイワイしながら撮影し、楽しかったですね。ただ、ヒロインの中山美穂さんはすでに人気アイドルで、気軽に話しかけられる雰囲気ではありませんでした。素晴らしい女優なのに、突然亡くなり残念でした」


■芸能の仕事は「青汁」のCMだけ。「芸能活動は私には合わなかった」


 芸能界の仕事はやめてしまったのだろうか。


「芸能の仕事は、今は世田谷自然食品の青汁のCMだけ。これまで恵まれたポジションでお仕事をしているように見えたと思いますが、やればやるほど枯渇していくようで、あるとき、自分の中から『止まれ!』という声が聞こえ、1回やめて結婚しました。再開しようとしたら乳がんが発見され、『やはり私には合わないんだな』と。ウチにテレビはないのでドラマはもう見ておらず、再放送中の『チョッちゃん』のテレビ画面を友人が写真に撮って送ってくれると、私まだ19歳だったのによくがんばったな、と思います」


(取材・文=中野裕子)


▽宮崎ますみ(みやざき・ますみ)1968年名古屋市生まれ。15歳のとき、映画「アイコ十六歳」のオーディションを受けデビュー。85年度クラリオンガールに選出され、映画「ビー・バップ・ハイスクール」や、黒柳徹子の母がモデルの朝ドラ「チョッちゃん」でも活躍。


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