1975年の音楽① クイーン

 今日から3回、「特別編」として「1975年の洋楽」を語ってみたい。


 今よりも、ずっとずっと洋楽が「偉かった」時期である。

邦楽は「ニューミュージック」も歌謡曲も「洋楽に追いつけ追い越せ!(でも無理だろうな……)」と思っていた頃だ。


 そんな時代の洋楽と、洋楽が邦楽に与えた影響について、今日から3回にわたって、考えてみようと思う。


 まずは日本人にこよなく愛されたバンド、クイーンだ。クイーンの名盤中の名盤、「オペラ座の夜」が、日本ではこの年の12月に発売されている。言わずと知れた、あの「ボヘミアン・ラプソディ」が入っているアルバムである。


 私はリアルタイムではなく、7~8年ほど遅れて、東大阪に住む高校生のときに中古盤で聴いたのだが、音楽リスナー人生における最大級の衝撃を受けた。


 その衝撃、当時は言語化できなかったのだが、評論家となった今では、こう言い表すことができる──「音がぎっしりみっちり詰まっている!」。


 楽器の数、音の数、声の数がとにかく多い。多過ぎる。また、それが本当に気持ちよかった。ほんまめっちゃくちゃ気持ちよかったんやから。


 そしてもちろん、楽器、音、声が詰まりまくった極致が、あの「ボヘミアン・ラプソディ」である。


 さて、正確に比較測定したわけではないが(そもそも測定なんて不可能だが)、かつての洋楽に比べて、今のJポップは詰まっている音の数が多いと思う。


 たくさん音が詰め込まれているほど、何だかお得な感じがしてうれしくなる。逆に、例えばアメリカのカントリーのスッカスカな音を聴いたら、どこか物足りない、損した感じになるという感覚が、日本人にはあると思う。絶対に。


 そして、そんな感覚こそが、世界に先駆けて、日本人がクイーンを受け入れた背景にあると考えるのだ。


 しかし、だからといって「オペラ座の夜」が、当時、邦楽に直接的な影響を与えたわけではなかった。だってあんな凝りに凝った録音、できへんかってんもん。


 というか、ここ10年くらいだろうか。やっとクイーン風のJポップが聴けるようになったのは。


 というわけで「クイーン・チルドレン」が日本で生まれるのには、75年から、そうとうな時間がかかったこととなる。かなりの高齢出産だったのだ、あの女王様は──と、うまいこと言うたった。


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