9月17日から開催される韓国の第30回釜山国際映画祭で、オープンシネマ部門に正式出品されることが決まった熊沢尚人監督、坂口健太郎主演の「盤上の向日葵」(映画は10月31日に日本公開)。これは日本映画ファンにとって“久しぶり”の感覚を呼び覚ます、ヒューマンミステリーである。


 原作は「孤狼の血」で知られる柚月裕子の同名小説。物語は、この世に7組しかない希少な将棋の駒を胸に抱いて殺された白骨死体が発見され、容疑者として天才棋士・上条桂介が浮上。さらに桂介の過去を知る賭け将棋の真剣師・東明重慶の名前も浮かび、捜査陣は彼らの関係を洗い始める。


 少年時代から将棋の才能を示した桂介に坂口、彼に賭け将棋の魅力を教え、一方では桂介を裏切る東明に渡辺謙。東明は周りの人間を踏み台にして生きる、冷酷非情な悪役〈ヒール〉的なキャラクター。渡辺謙は「ラストサムライ」(2003年)に出てハリウッドスターになってからは、「硫黄島からの手紙」(06年)の日本軍を率いる栗林中将や、「GODZILLA」(14年)の怪獣研究の第一人者・芹沢博士など、リーダー的存在を演じることが多かった。だが「ラストサムライ」以前には、「溺れる魚」(01年)の犯罪を裏で操る警視正役、「T.R.Y.」(03年)の私腹を肥やす陸軍将校役など、かなりエッジの利いたヒールを演じていた。その頃の“危険な匂い”が今回の東明役にはあって、これがひとつめの「久しぶり」という感覚である。


 ふたつめは、「盤上の向日葵」の作品のムードが、名作「砂の器」(1974年)を彷彿とさせることだ。松本清張原作の「砂の器」は東京・蒲田で老人が殺害され、刑事2人が小さな手掛かりから新進音楽家の和賀英良を、容疑者として特定していくミステリー。和賀の壮絶な少年時代が事件と絡み、クライマックスを彩る組曲「宿命」がドラマを効果的に盛り上げ、大ヒットを記録した。


 同作では冒頭、佐々木蔵之介高杉真宙の刑事コンビが、希少な将棋の駒の出どころを探って、日本各地を飛び回る。

これは「砂の器」で丹波哲郎と森田健作の刑事コンビが、空振りを繰り返しながら地方へ捜査に出向く場面を思わせる。土地の定食屋で捜査の現状を話し合うところも似通っていて、90年代初頭を背景にしていることを思えば、これは足を使って捜査する刑事たちが描けるぎりぎりの年代だろう。


「砂の器」は和賀英良の生い立ちが捜査会議の席上で語られ、その少年時代がかなりのボリュームで描かれた。「盤上の向日葵」でも桂介に将棋の楽しさを教えた恩人との少年期、東明と出会って賭け将棋の世界を知る青年期のエピソードが、単なる点描の回想ではなく、短編映画並みの長さでつづられていく。


「砂の器」は和賀が作曲した組曲「宿命」を披露するコンサート。「盤上の向日葵」は桂介が将棋界最高峰のタイトル「竜昇戦」に挑む日にピークを持ってくる、物語の構成もイメージが重なり“久しぶり”の連続。


 思えば柚月裕子の「孤狼の血」は、東映の「仁義なき戦い」(73年)と「県警対組織暴力」(75年)にインスパイアされた小説で、それを東映が2018年に映画化した。今回は松竹映画の「砂の器」を思わせる「盤上の向日葵」を、やはり松竹の配給で公開する。映画ファンにはたまらないムードを持った注目作である。


(金澤誠/映画ライター)


編集部おすすめ