【あの頃、テレビドラマは熱かった】#7
「翼をください!」
(1996年/フジテレビ系)
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1996年春、フジテレビの月曜夜に伝説が生まれた。月9「ロングバケーション」、そして10時には「SMAP×SMAP」。
同時にフジの月曜夜と、あの事務所の力は盤石に。GP帯の連ドラにはジャニタレが多数主演し、高視聴率を連発する。
それがその後にどう影響したのかを言い出すと尺が足りないし、「ロンバケ」やキムタクについては散々語り尽くされて、リアルを知らない若者にも耳タコだろうから、スルーする。
というわけで、「ロンバケ」の次の月9「翼をください!」。“瀬名と南”の残像と久保田利伸の歌声がまだ頭から離れない7月、時のイケイケアイドル内田有紀(当時20)が満を持して月9初主演を務めた。その人気はすさまじく、電車内で目の前の男性が読んでいる雑誌や中吊りにはほとんど内田有紀が載っていたし、実際、当時取材した何人かの男性芸能人が気になるアイドルとして彼女の名を挙げた。
彼女がCMで見せていた笑顔と谷間につられてエプソンのプリンター「カラリオ」を買うために、Windows95搭載のDOS/Vパソコンを買った男もいた。あっ、それ僕です。
輝くアイドルの月9初主演作は、奄美大島から上京して芸能界入りする女の子の物語。内田が恋する反町隆史は不倫中の水野美紀が好きで……なんて恋の一方通行もあった。ところが、視聴率は平均13%台と、当時の月9ワースト記録を更新。
でも、それはあまりにも短絡的だ。あの「ロンバケ」の次でなければ、もっと輝けたはずだと僕は今でも思っている。思うだけじゃなく、「キムタク主演作の次の月9はどんな大物でも苦戦する説」を唱えたくなったので調べてみた。
97年「ラブジェネレーション」の後は長瀬智也「Days」、2001年「HERO」の後は江角マキコ「ラブ・レボリューション」、02年「空から降る一億の星」の後は竹内結子「ランチの女王」、04年「プライド」の後は菅野美穂「愛し君へ」、05年「エンジン」の後は妻夫木聡「スローダンス」、08年「CHANGE」の後は織田裕二「太陽と海の教室」……数字を持ってるはずの誰が主演しても、視聴率は伸び悩んでいる。
「ロンバケ」やキムタクはスルーするつもりだったのが、あれ?
(テレビコラムニスト・亀井徳明)