《皆様へ この度私事で恐縮ですが、最近めまい等があり検査しましたら、洞不全症候群(とうふぜんしょうこうぐん)とわかりました》
自身のインスタグラムで、ペースメーカーの取り付け手術と入院を報告したのが、歌手の美川憲一(79)。8月にめまいなどの症状があったことから9月に医療機関で精密検査を受け、不整脈の一種である洞不全症候群と判明。
美川の一報に安堵したというのが、20代からの親友である男性モデルのH氏だ。
「ケン坊がペースメーカーをつけたと聞いて、電話したら思いのほか元気だったので安心しました」
美川は1965年に「だけどだけどだけど」で歌手デビューし、今年6月で芸能生活60周年を迎えた。作曲やギター演奏をB'zの松本孝弘(64)、作詞をGLAYのTAKURO(54)が手がけた記念シングル「これで良しとする」のリリースが話題になったばかり。芸能界の重鎮として存在感を示してきた美川だが、これまでの歩みは順風満帆では決してなかった。
「美川は今でこそ"オネエキャラ"として認知されていますが、デビュー当時は美少年歌手でした。カミングアウトするまで長い期間を要しています」(ベテラン芸能ライター)
デビューの翌年にムード歌謡路線に転向した美川は、「柳ヶ瀬ブルース」が120万枚のミリオンセラーを記録し、「新潟ブルース」や「釧路の夜」と立て続けにヒット曲に恵まれた。1968年の「NHK紅白歌合戦」に初出場して以来、7年連続で出場。72年の「さそり座の女」もヒットし、歌手として不動の地位を築いた。
「その後、紅白に落選して2年が経過した77年に大麻取締法違反で逮捕。不起訴になりますが、84年に再び同容疑で逮捕。懲役1年、執行猶予3年の有罪判決を受けています。
筆者も同店に通い詰めていた時期があり、店では素の美川を見せてイキイキとしていたことを覚えている。
■ジャニー喜多川氏の性加害問題にも言及
ある日、店に行くと、美川が「あんたも記者の仲間なんだろ!」と激怒されたことがあった。当時、筆者が所属していた女性週刊誌の別の記者が、美川と一夜を共にしたことを記事にしていたのが原因だった。そのことを知らなかった筆者は、どうやら誤解されていたようだ。
大麻事件以降、テレビ出演などの露出が激減していた美川はその後、復活を果たす。
「1990年に放送されたちあきなおみ(77)と金鳥の『タンスにゴン』のCMに出演し、『もっと端っこ歩きなさいよ』というフレーズが大ウケしました。自然体の美川が世間に受け入れられた瞬間でした。その後、ものまねタレントのコロッケ(65)が美川のものまねをしたことで、再ブレークしています」(前出・芸能ライター)
美川は歌手として再ブレークしただけでなく、和田アキ子と並び“芸能界のご意見番”としても存在感を示してきた。2023年の旧ジャニーズ事務所創業者の故・ジャニー喜多川氏(享年79)の性加害問題について同年9月に次のようにコメントしている。
「言えない空気と言うか、触れてはいけない。マスコミもそうだったと。あの時代はみんなそういう気持ちで触れてはいけない、その話を言ってはいけない時代でしたから、もうちょっと早めに事件になり、何かしたら、もっと被害者が出なかったんじゃないかなと思います」
さまざまな辛酸をなめてきた美川だけに、その言葉は重かった。
そんな美川も来年5月の誕生日で傘寿を迎える。前出のH氏は以前から「心臓が悪い」と本人から聞いていただけに、今回のニュースに不安がよぎったと言うが、本人の肉声を聞けたことで、「まだまだ芸能界で頑張ってくれると思う」と話した。一日も早い復帰を期待したい。
(本多圭/芸能ジャーナリスト)