「踊る大走査線」(1997年/フジテレビ系)
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金融危機と消費増税で財布のひもは固くなったが、テレビは熱かった1997年。SMAPを筆頭にジャニーズ勢が番組表を席巻する一方で、98年サッカーW杯フランス大会の最終予選でサッカー界も熱かった。
悲願の初出場を目指す加茂ジャパンのモタモタぶりにイライラし、地下鉄の売店を飾る夕刊紙の「加茂続投」という見出しが「加茂銃殺」に見えたファンもいた(それ僕です)。だから岡田ジャパンが11月に勝ち取った“ジョホールバルの歓喜”はひとしおだ。スポーツ誌Numberの表紙に踊った「We did it!」は目に焼きついている。
そんな97年、フジテレビ火曜夜9時枠で1月クールに放送されたのが、「踊る大捜査線」。今でもフジのドル箱的コンテンツだけど、放送当初の視聴率はそれほどでもなかった。最終回こそ20%を超えたものの、平均18%台は、キムタクの「ラブジェネレーション」、江口あんちゃんの「ひとつ屋根の下2」、反町&竹野内の「ビーチボーイズ」(いずれも月9)というこの年のトップ3には遠く及ばず、トップ10にも入らない。
でも、それを映画やスピンオフ、さらには選挙特番のタイトルにまで使うほどのコンテンツに押し上げたその原点は“ネット”の力だ。
今では考えられないほど遅い、電話回線を使った“クンロク”9600bps、エロ画像1枚開くのにペヤングができるまで待たなきゃいけなかった頃のこと。ニフティサーブのドラマフォーラムで、「踊る--」の考察が盛り上がっていた。制作側が仕掛けたディテールを目ざとく見つけては、深夜11時から回線料が少し安くなる“テレホーダイ”を利用してせっせと書き込むファンたち、それを読んでさらに書き込む人たちがそこにいた。
織田裕二もいかりや長さんも深っちゃんもギバちゃんも魅力的だったし、君塚良一さんの脚本や本広克行さんの演出も“見たことない刑事ドラマ”としておたくゴコロを刺激したのは間違いない。でも、おたくたちがネットという発信力を手に入れたタイミングが重なったからこそ、「踊る--」はその後も踊り続けている。
人気者のキャスティングありき型でヒットを連発していたフジドラマの絶頂期に生まれた「踊る大捜査線」。その人気に火をつけた“ネット”の存在を、当時のエライ人がもっと認識していたなら……なんて、いま何を言っても後出しジャンケンですよね。
情報盛り込みすぎて今回は疲れました。Ⅰ did it!
(テレビコラムニスト・亀井徳明)