松本潤(1983年8月30日生れ)主演の
『どうする家康』(1月8日開始)を観る前に
1983年の大河ドラマ『徳川家康』を知って欲しい特集である。
(『どうする家康』の松本潤 イラストby龍女)
今年の大河の主役は題名からも分るとおり、徳川家康(1543~1616)である。
主人公とした大河ドラマとしては『葵徳川三代』(2000)以来22年ぶりだが、3人いる主人公、家康(津川雅彦)・秀忠(西田敏行)・家光(四代目尾上松緑)の一人だ。
単独で主役の大河ドラマとしては、40年ぶりになる。
筆者は、40年前にこの『徳川家康』を観て、すっかり徳川家康の大ファンになり、生きる指針にすらしている。
「長生きするのも芸のうち」と言うことわざがあるが、それを実践した日本史上の人物こそ徳川家康だったと考えている。
40年ぶりに徳川家康が大々的に主人公としてクローズアップされるので、次の頁から『徳川家康』がどんなドラマだったのかを紹介したい。
最近の大河ドラマは脚本家のオリジナルの割合が増えているが、かつては歴史小説の原作付きが当たり前であった。
『徳川家康』の原作は山岡荘八(1907~1978)だ。
山岡荘八は歴史小説の大家の一人で、大河ドラマになった原作小説は3作品ある。
他の2作品は『春の坂道』(後年『柳生宗矩』に改題)と『独眼竜政宗』である。

(山岡荘八 イラストby龍女)
ちなみに一番多く大河ドラマの原作になった小説家は司馬遼太郎(1923~1996)だ。
『竜馬がゆく』(1968)
『国盗り物語』(1973)
『花神』(1977)
『翔ぶが如く』(1990)
『徳川慶喜』(1998)
『功名が辻』(2006)
の6作品である。
山岡荘八原作の第1作目の『春の坂道』(1971)は大河ドラマになる前提に書かれた小説で、今で言うところのメディアミックスの走りだ。
主人公は、徳川家康・秀忠・家光に仕えた剣術指南役柳生宗矩(1571~1646)である。
主役を演じたのは、当時は中村錦之助だった萬屋錦之介(1932~1997)である。
古巣の東映で製作された映画『柳生一族の陰謀』(1978)でも同じ役を演じている。
『春の坂道』翌年の1972年11月に芸名を萬屋錦之介となった。
『春の坂道』は柳生宗矩が当たり役となったきっかけとなった。
山岡荘八が書いたのは、実際はその後に大河ドラマの原作になった2作品より、一番遅い。
大河ドラマ空前の大ヒットとなった『独眼竜政宗』(1987)の原作、『伊達政宗』が書かれ始めたのが1970年頃で1973年に完結したので、春の坂道と同時進行だった可能性はある。
『徳川家康』は講談社文庫から26巻出ている。
1950年から1967年まで北海道・東京・中日・西日本新聞で連載された。
一人の人物を描いた歴史小説としては最長であろう。
こらえ性のない筆者は正直言って原作小説は読んでいない。
この原作は一部は映像化されていたが、恐らく内容全体をほぼ映像化できたのはこの大河ドラマだけであった。
大河ドラマの映像化の場合、かつては50回で完結するものだった。
原作となる小説が50回分の内容のモノは殆ど存在しない。
原作を脚本家が膨らますか同じ原作者の同時代の小説と合わせて映像化するのが常である。
昨年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の元ネタは1979年の大河ドラマ
『草燃える』である。
永井路子の原作小説が複数用いられた。
『北条政子』
『炎環』
『つわものの賦』
『相模のもののふたち』
『絵巻』
である。
『徳川家康』だけは原作が長大すぎてエピソードがカットされた可能性がある希有なケースである。
脚色したのは、TVドラマの女性脚本家のパイオニアの一人

(小山内美江子 イラストby龍女)
小山内美江子(1930年1月8日生れ)である。
原作の第1巻目の題名は『竹千代誕生』で、母・於大(おだい)の方の縁談から書かれる。
これを忠実に映像化するかしないか?
企画会議は大変だったろう。
結局、原作に忠実に竹千代が生れる前から始まることに決定した。
これは、『どうする家康』が家康が松平元康だった17歳の桶狭間の戦い(1560年6月12日)を軸にドラマが始まるのとは全く違う。
恐らく、『どうする家康』の脚本家の古沢良太(1973年8月6日生れ)は、ドラマの構成の参考として、主人公の真田信繁が元々仕えていた武田家が滅んだ1582年3月から始まる『真田丸』(2016)を手本としているのではないだろうか?
この大きな違いは、大河ドラマが元々長編小説を映像化する発想から、徐々に映画的表現を重視するようになった時代の移り変わりと大きく関係しているかもしれない。
20世紀は今でこそ映像の世紀と称されるが、少なくとも前半は19世紀を支配していたメディア小説の影響を多大に受けていた。
映像によって、時代を時系列に丁寧に描く19世紀的小説表現は衰退していき、大河ドラマの時代を描く表現も変化してきた。
21世紀に入ってきてからの大河ドラマは小説原作は
高橋克彦『北条時宗』(2001)
吉川英治『武蔵 MUSASHI』(2003)
宮尾登美子『義経』(2005)
司馬遼太郎『功名が辻』(2006)
井上靖『風林火山』(2007)
宮尾登美子『篤姫』(2008)
火坂雅志『天地人』(2009)
林真理子『西郷どん』(2018)
22本中8本と半分以下で2010年以降に至っては『西郷どん』のみとなっている。
それでは、次の頁から一部ではあるが、大河ドラマ『徳川家康』に出演していた名優達を紹介しよう。

(『徳川家康』の主役滝田栄 イラストby龍女)
主役の徳川家康を演じたのは、滝田栄(1950年12月5日生れ)である。
当時は大抜擢で、大作の主役は初めてだった。
大河ドラマ出演は『草燃える』(1979)の架空のキャラ伊東祐之が初めてである。
橋田壽賀子(1925~2021)が初めて大河ドラマを手がけた
『おんな太閤記』(1981)では、豊臣秀吉(西田敏行)の親友で、後に加賀百万石の大大名家、加賀藩の祖となる
前田利家(1538~1599)を演じた。
1980年の朝ドラ『なっちゃんの写真館』ではヒロイン(星野知子)の夫役を演じた。
後に同じ山岡荘八原作の『独眼竜政宗』の主役に抜擢された渡辺謙同様に、朝ドラのヒロインの相手役は、大河ドラマの主役の布石になっている。(渡辺謙は『はね駒』のヒロインの夫役)
滝田栄は、満を持して大河ドラマ出演3作品目に、徳川家康という大役を預かった。
役作りで家康が竹千代の頃の今川家の人質として10代前半を過ごした静岡県の古刹、臨済寺を訪れた。
実際に過ごした竹千代の間の隣に宿を借りて禅の修行に励んだそうだ。
臨済寺はその名の通り、禅の宗派である臨済宗妙心寺派の寺院である。
駿河の領主今川義元(1519~1560)は名門今川家の生まれではあるが、嫡男では無い。
当初は相続の見込みがなかったので、出家して、臨済宗の僧・栴岳承芳(せんがくしょうほう)となっていた。
師匠の太原雪斎(1496~1555)は、兄・今川氏輝(1513~1536)の死をきっかけに、家督争いから今川家を相続することになった義元を支えたブレーンでもある。
竹千代はその雪斎を師に学問を学んだので、信長・秀吉に比べても教養の高さではずば抜けている。
そうした家康の内面を実際に過ごした寺院で体験したことは後の人生にも大きな影響を与えたそうだ。
21世紀に入ってから、俳優としての活動よりも仏師として活躍しているそうだ。

(今川義元を演じる成田三樹夫 イラストby龍女)
今川義元を演じたのは成田三樹夫(1935~1990)だ。
貴族を演じさせたら天下一品とされた悪役俳優である。
大河ドラマでは『新・平家物語』の藤原頼長役などがあるが、日本映画史的にはなんと言っても『柳生一族の陰謀』の烏丸少将である。
他にも映像としてよく観られているのは、『仁義なき戦い』シリーズや、松田優作主演のTVドラマ『探偵物語』の服部刑事役だ。
主人公の工藤俊作(松田優作)を
「工藤チャ~ン」と呼ぶ声のトーンが絶妙に面白かった。
今川義元は今川家の領主になる前は京都の禅僧であった事から、駿河に貴族文化を持ち込んだ。
桶狭間の戦いで討ち死にした為に評価は不当に低いが、徳川家康が三河の一国人領主から出世できた原因は、今川義元の人質として高度な教育を受けたことが大きい。
成田三樹夫自身も中退だが東大出身で、俳人という側面を持っていた。
随筆家の白洲正子(1910~1998)も贔屓の俳優で、彼の遺した句集について言及している。
『どうする家康』での今川義元を演じるのは、野村萬斎(1966年4月5日生れ)である。

(家康の母・於大を演じる大竹しのぶ イラストby龍女)
昨年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』では、源実朝の運命を予言する歩き巫女役も印象的だった大竹しのぶ(1957年7月17日生れ)。
徳川家康の人生の波乱のきっかけとなる母、於大の方(1528~1602)を演じた。
後年、大竹しのぶはたまたま『徳川家康』の再放送を観ていたら、自分が出ていてビックリしたそうである。
「覚えて無かったんかい!」
しかし、調べてみると、1983年は他にドラマ4本映画1本に出ており、私生活でも前年に結婚しており、一番人生の中で忙しかった時期だったようである。
『どうする家康』で於大を演じるのは、松嶋菜々子(1973年10月13日生れ)である。

(築山殿を演じる池上季実子 イラストby龍女)
今川義元の縁戚の関口家の息女・瀬名こと築山殿(?~1579)を演じたのが
池上季実子(1959年1月16日生れ)である。
映画の代表作になる『陽暉楼』と同年に放送されたので、一番俳優として脂がのりきっている時期だった。
父が商社勤務の関係でニューヨークで生まれ、母方の従兄に十代目坂東三津五郎(1956~2015)がいる。
ハグの習慣が身についているせいか、それが日本社会の習慣と合わず根も葉もない交際の噂に繋がり、悩んだそうだ。
『徳川家康』における築山殿は、夫家康が多忙でほっとかれたために、武田信玄と内通している家臣大賀弥四郎(寺泉憲)と密通してしまう。
信長の娘の徳姫(田中美佐子)は、家康と築山殿の息子松平信康(宅麻伸)の妻である。
築山殿とは仲が悪く、築山殿と信康は武田信玄と内通していると、父信長に報告した。
築山殿と信康は、信長から家康への命で、殺されてしまう。
家康は信長の同盟関係を守るために、正室と嫡男を殺す悲劇に見舞われる。
築山殿は、今川の人質時代の家康と大きく関係が変わってしまったために、殺されてしまった悲劇の姫君である。
しかし、かわいそうと言うより様々な要因で翻弄するされる女性と言う役柄は、池上季実子によく似合う、特徴的な個性と言えるだろう。
主演作品ではないが、於大役を演じた大竹しのぶと共演したTVドラマ『男女7人夏物語』(1986)の浅倉千明役にもそれが反映されている。
筆者は、約20年前大谷大学在学中に、京都のスターバックス三条大橋店で池上季実子を見かけたことがある。
公称では156cmらしいが確かに小さかったので、びっくりした。
最近その思い出を母に話したら、
「チビタンクみたいだった?」
と聞かれたが、他のたとえで言うと、筆者の生れる前の昭和三十年代に流行った言葉
トランジスタ・グラマー
が思い浮かんだ。
『どうする家康』で、築山殿は有村架純(1993年2月13日生れ)が演じる。

(織田信長を演じる役所広司 イラストby龍女)
織田信長(1534~1582)を演じたのは
役所広司(1956年1月1日生れ)である。
大河ドラマは、『獅子の時代』(1980)、『おんな太閤記』(1981)に続く3作目だが、主人公に多大な影響を与える役で、大抜擢であった。
役所広司は大河ドラマでの大きな役は、6回目の『いだてん~東京オリムピック噺~』(2019)の嘉納治五郎(1860~1938)が、主人公金栗四三(1891~1983。演じたのは六代目中村勘九郎)に大きな影響を与える意味では久しぶりであった。
これは、脚本の宮藤官九郎(1970年7月19日生まれ)が『徳川家康』が放送された頃、中学生でよく覚えていたせいではないかと推測している。
役所広司に関しては2022年6月23日付のコラムで言及しているので参考にして欲しい。
『どうする家康』では、織田信長は岡田准一(1980年11月18日生れ)が演じる。

(本多作左衛門を演じる長門裕之 イラストby龍女)
本多作左衛門こと本多重次を演じたのは、
長門裕之(1934~2011)である。
日本映画の父と呼ばれる牧野省三(1878~1929)が母方の祖父で、父は歌舞伎俳優から映画俳優に転向した四代目沢村國太郎(1905~1974)である。
6歳の頃から沢村アキヲ(本名の加藤晃夫の名と父の芸名を苗字にした)として活動を開始。
その時代の代表作が映画『無法松の一生』(1943)である。
この時、母親役で共演した園井恵子(1913~1945)は1945年の8月6日に広島で被爆した。
爆心地に近い旅館に宿泊していた劇団桜隊の一員だった。同月21日に亡くなった。
筆者の推測ではあるが、1979年に公開された『東京大空襲 ガラスのうさぎ』で機銃掃射で主人公の少女の目の前で殺される父親役を演じる動機に繋がっているのではないかと考えている。
新藤兼人監督が手がけたドラマとドキュメンタリーを組み合わせた映画
『さくら隊散る』(1988)では園井恵子の共演者として、撮影当時の彼女について証言している。
立命大学中退後、長門裕之に改名して、最初の代表作になったのは石原慎太郎(1932~2022)が一橋大学在学中に芥川賞を受賞した『太陽の季節』(1955)の主人公である。
この時に相手役として共演した南田洋子(1933~2009)と1961年に結婚する。
若手俳優時代の長門裕之は、痩せていた。
桑田佳祐が登場したときに、
「若い頃の長門裕之にそっくりだ!」
と評判になっていたので、演出家の久世光彦(1935~2006)はエッセイの中で、親子役で共演させたいと書いていたほどだ。
筆者が幼少期の80年代で長門裕之出演作品で一番印象が残っているのは
大ヒットTVドラマ『池中玄太80キロ』のカメラマン池中玄太(西田敏行)の上司で編集長の楠英政である。
とにかく、池中玄太との喧嘩シーンが面白かった。
ただこうしたけんか腰のしゃべり方は、半分地のような所があり、著書『洋子へ』が舌禍事件としてしばらく業界全体の信用をなくすトラブルを起こしてしまう。
『徳川家康』でも本多作左衛門は、家康に諫言する年上の家臣として振る舞う役である。
実弟の津川雅彦(1940~2018)は、『徳川家康』の後半に大久保長安役として登場するが、一緒のシーンはあった記憶が無い。
まだ仲が悪かった時機だったかもしれない。
晩年は、弟がマキノ雅彦名義で監督した『寝ずの番』(2006)では落語家の大師匠を演じている。
『どうする家康』では同じ役の俳優は今のところ発表されていない。

(井伊直政を演じる豊原功補 イラストby龍女)
家康を支えた有力家臣の中でも四天王と呼ばれた中で最も若かった
井伊直政(1561~1602)の少年時代を演じたのは豊原功補(1965年9月25日生れ)だった。
成長してからは、平泉成(1944年6月2日生れ)が演じた。
井伊直政は駿河と三河に挟まれた遠江の井伊谷の領主であった。
幼い頃に父・井伊直親(1536~1963)を今川氏真の手の者に暗殺された。
成長するまでに親類に当たる井伊直虎が活躍した話は
大河ドラマ『おんな城主直虎』(2017)に詳しく描かれた。
この時の井伊直政は、菅田将暉が演じている。
イラストを描くに当たり、この写真を母に見せたところ、
「キムタクかと思った」
と言った。
井伊直政は美少年としても有名で、14歳で家康の小姓として仕えている。
それが大人になって、『徳川家康』では平泉成という、オッサン俳優として有名な人に変わる。
よく考えてみると、木村拓哉は平泉成のものまねがそっくりなので、骨格が近いのかもしれない。
豊原功補は筆者の大好きなドラマ『のだめカンタービレ』(2006)ではハリセンとあだ名されるピアノ科教授江藤耕造を演じた。
『時効警察』シリーズでは、十文字疾風という残念なイケオジ刑事を演じている。
木村拓哉も平泉成も豊原功補もハスキーでありながら甘い声質の持ち主である。
『どうする家康』では板垣李光人(2002年1月28日生れ)が演じる。

(明智光秀を演じる寺田農 イラストby龍女)
明智光秀(?~1582)を演じたのは、
寺田農(1942年11月7日生れ)である。
当初は岸田森が演じる予定だったが、撮影前の1982年12月28日に食道ガンで亡くなった。43歳の若さである。
代役として、文学座養成所の同期だった寺田農に白羽の矢が立った。
当初の脚本ではもっと光秀の出番があったそうである。
今では『天空の城ラピュタ』(1986)の悪役、ムスカの声優としてが一番有名だ。
映画俳優としてはおもしろい経歴を踏んでいる。
日活ロマンポルノから特撮、B級作品から超メジャーまで出演基準がよく分らない。
大河ドラマでは他にも『炎立つ』(1993年7月~1994年3月)ではナレーションを務めている。
映画の最新主演作は、武田信玄の父・武田信虎(1494~1574)の最晩年を演じた
『信虎』(2021)である。
信虎の晩年の姿は、信玄の弟の武田信廉(1532~1582)が描いた肖像画が有名である。
寺田農はそれに寄せて演じている。
寺田農の父・寺田政明(1912~1989)は洋画家である。
成田三樹夫とは異なるインテリジェンスを感じさせる悪役俳優である。
『どうする家康』では、酒向芳(1958年11月15日生れ)が演じる。
明智光秀の出生地と思われる岐阜出身の俳優である。

(豊臣秀吉を演じる武田鉄矢 イラストby龍女)
豊臣秀吉(1537~1598)を演じたのは武田鉄矢(1949年4月11日生れ)だった。
『徳川家康』の脚本家、小山内美江子の代表作『3年B組金八先生』の主演俳優である。
80年代に入って、他の大河ドラマでも秀吉役の候補に入っていたそうだが、その時に金八先生の撮影が入っていた。
メインの脚本家である小山内美江子が大河ドラマに取りかかるので、金八先生はしばらく撮影されないので、秀吉役に武田鉄矢がなれたと言う事情と、小山内美江子もやって欲しかったそうである。
筆者の考えでは、武田鉄矢は、俳優の素質として彼自身が大好きな坂本龍馬が似合うかどうかが疑問である。
坂本龍馬にもハングリー精神はあったかもしれないが、武田鉄矢が抱えている強烈な劣等感や負けん気は豊臣秀吉の方が合っている。
坂本龍馬は身分はともかく裕福な商人の息子で経済的な飢えは経験していないはずだ。
『どうする家康』ではムロツヨシ(1976年1月23日生れ)が演じる。

(石田三成を演じる鹿賀丈史 イラストby龍女)
石田三成を演じたのは、鹿賀丈史(1950年10月12日生れ)である。
家康の天下取りのライバルとして登場するのは、滝田栄と同じ頃に劇団四季に在籍していた鹿賀丈史というのは興味深い配役である。
後にもこの二人は縁が深く、ミュージカル『レ・ミゼラブル』の日本版初演で、ジャン・バルジャンとジャベール警部のダブルキャストを演じている。
石田三成は、歴女と呼ばれる層には人気が高いそうだが、21世紀になってから石田三成の再評価はめざましい。
これは日本が不景気になって敗軍の将に対して興味を持ちだしたからではないかと考えられる。
なんで勝ったかを考えるのも大事だが、なんで負けたのか?
失敗から学ぶ事も多いからだ。
石田三成の評価でよく言われるのは、非常事態よりも平和なときに役に立つ官僚的性格の持ち主で、生きた時代を間違えたのでは?と惜しまれている。
まるで、遅れてきた戦国武士と言われる宮本武蔵と正反対の評価である。
鹿賀丈史は、小山内美江子脚本の第2作目の大河ドラマ『翔ぶが如く』では西郷隆盛(西田敏行)の親友でライバルになる大久保利通(1830~1878)を演じた。
同じ時代の大河ドラマ『西郷どん』(2018)では、島津斉興(1791~1859)を演じた。
『どうする家康』では石田三成は当然登場するだろうが、誰が演じるかまだ発表されていない。
母の於大が、松本潤の代表作『花より男子』の姉役の松嶋菜々子なので、大河ドラマ文脈だと同じ『花より男子』にも出ていた石田三成と言えば小栗旬だが、主役をしたばかりなので無理にしても友情出演はあるかもしれない。
次の候補として考えるとしても、主役との相性を考えて、F4の残り二人のうち、松田翔太か阿部力を選んだらドラマファンの間ではかなり盛り上がる筈だ。

(淀殿を演じる夏目雅子 イラストby龍女)
淀殿(1569?~1615)は天下人豊臣秀吉の側室になり、秀吉の実子・秀頼を産んだ。
家康の最後の戦いである大坂の陣(1614年11月~1615年6月)の事実上のリーダーだ。
演じたのは夏目雅子(1957~1985)である。
大河ドラマは『黄金の日日』(1978)、『おんな太閤記』(1981)に続いて3度目であった。
『おんな太閤記』では信長の妹のお市の方(1547~1583)を演じた。
淀殿はお市の娘であるので『徳川家康』と合わせて、母娘とも演じたことになる。
夏目雅子は、1985年9月11日に急性骨髄性白血病で27歳の若さで亡くなったために大河ドラマ出演は3作品に留まった。
もし生きていれば彼女がどんな役で大河ドラマに出演したか、80年代に活躍して今も現役の人を見ていると一層悔やまれる。
『どうする家康』では、誰が演じるのだろう?
ちなみにお市の方は北川景子( 1986年8月22日生れ)が演じる。
大河主役候補になってもおかしくない大物俳優なのは間違いないはずだ。

(豊臣秀頼を演じる利重剛 イラストby龍女)
豊臣秀頼(1593~1615)を演じたのは、利重剛(1962年7月31日生れ)である。
小山内美江子の実子である。
このような配役は、『独眼竜政宗』(1987)の脚本家ジェームズ三木の息子で俳優の山下規介が豊臣秀頼に選ばれたときの前例になった様だ。
利重剛は母の代表作『3年B組金八先生』の第6シリーズ(2001年10月~2002年3月)にも出ている。
母が『金八先生』を描き始めた時に高校生だったので初期のシリーズはアドバイスをしていたそうだ。
彼自身も映画監督・脚本家としても作品を手がけている。
監督作品は2013年の『さよならドビュッシー』以来途絶えているが、俳優としての仕事も多いのでこちらが忙しくて監督作品を作るのが難しくなっているのかもしれない。
2度結婚しているが、今の妻の元プリンセスプリンセスの今野登茂子とは2002年の監督作品『クロエ』の楽曲提供が縁になっているようだ。
『どうする家康』ではかなり後半に登場する事になるので、誰がするかまだ発表されていないが、脚本家はどういう発想で選ぶか注目の役である。

(真田幸村を演じる若林豪 イラストby龍女)
真田信繁(幸村)(1567~1615)を演じたのは、
若林豪(1939年9月5日生れ)である。
『独眼竜政宗』でも同じ役を演じて、当たり役の一つである。
しかし、筆者はミステリーの女王山村美紗(1931~1996)が創造したキャラクター狩谷荘助警部が一番の当たり役だと思っている。
ベタだが、トレンチコートやピシッと決まったスーツが似合う劇画から飛び出してきたような渋さを放ち続けている。
真田信繁は、家康を最後の最後に追い詰める武将でもある。
『どうする家康』に登場する最後の敵として、どんな人がやるのだろうか?
筆者の第1候補は、ドラマの構成が『真田丸』の最初に似ている気がしたので、堺雅人の再登場がふさわしいが、スケジュール的にこっちに小栗旬が登場してもおかしくない。
個人名は具体的には挙げられないが、松本潤と仲の良い俳優が選ばれると、石田三成と真田信繁に関してはざっくりと予想しておこう。
古沢良太が10歳の時に放送された大河ドラマであるので、6歳だった筆者より記憶に残っている作品の筈だから、どう影響を受けてどう変えていくのか?
始まる前から楽しみにしている。
徳川家康の生涯という一番知られているかもしれない日本史上の人物をどういう解釈で描くのか?
徳川家康を描くことは、作家がこれまで常識と思ってきたことをどうやって新しい視線で取り上げて視聴者を納得させるか?
歴史を学ぶことは史実に忠実なドラマを見せることではなく常に解釈でしかない。
今の日本ではどういう捉え方が適切なのか?
筆者は、戦国3英傑の中で最も才能が無いと言われる家康から学ぶことの大切さを一人でも多くの人に分かって欲しいと願うばかりである。
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