戦国三英傑の一人「織田信長」。信長が異国の品や目新しいもの好きであったことは良く知られている。
その中でも特異な存在として記録に残っているのが黒人の家臣「弥助(やすけ)」だ。

今回は【前編】【後編】2回にわたり、未だに謎の多い人物である弥助について考察する。

戦国時代にアフリカから日本へ? 織田信長に仕えた黒人従者「弥...の画像はこちら >>


日本に到来した南蛮人(Wikipediaより)

■弥助の人物像と来日の経緯

本名や生年月日、出生地および家族構成など詳しいことはほとんどわかっていない。確かなことはイエズス会の宣教師「アレッサンドロ・ヴァリニャーノ」が連れていた黒人従者であり、後に織田信長に仕えたということのみだ。

ヴァリニャーノはイエズス会が世界の布教状況を査察するため日本に派遣した「巡察使」であり、1579年に初来日を果たしている。最初の訪問は1582年まで続いた。

当時の世界には人身売買が存在し、アフリカ人などヨーロッパ植民地地域の人間が、従者や奴隷として宣教師や巡察使に従い来日することは珍しくなかったという。

弥助の出身はアフリカのモザンビークであると考えられており、ポルトガル領であった。当時のポルトガルは奴隷貿易を行っていたため、弥助も人身売買の対象となり日本へ来日したと思われる。

■身体的特徴とルーツの謎

「信長公記」や、実際に弥助を見たとされる松平家忠の日記「家忠日記」には、年齢は二十代の中盤から後半で、黒々とした墨のような皮膚に182cm程の身長、屈強な体をしていた旨の記載が残されている。

ヴァリニャーノと弥助の出会いは定かでないが、アフリカかインドである可能性が高いようだ。イエズス会は表向き奴隷を認めていなかったため、弥助の身体的特徴から推察すると護衛や用心棒として同行させていた可能性が高い。


戦国時代にアフリカから日本へ? 織田信長に仕えた黒人従者「弥助」とは【前編】


弥助を召し抱えた尾張の大名「織田信長」Wikipediaより

■信長との出会い

1580年。ヴァリニャーノが先に来日していたルイス・フロイスと共に信長に謁見すると、弥助も従者として同行したとされる。

信長は弥助を気に入りヴァリニャーノから譲り受けた。武士の身分を与え、帯刀を許してそばに置いたという。「弥助」という名前は信長によって命名されたもので、本名は不明であるためそれ以前の呼び名は定かでない。一説には「イサケ」や「ヤスフェ」との呼び名を聞いた信長が、発音の似ている弥助としたといわれている。

【後編へ続く】

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