日本の性風俗の歴史は古く、太古の昔から現代に通ずる様々な行事や慣習があった。中には信仰や儀式の一環として性的側面が内包されているものも存在する。


今回は、そんな日本の慣習の中でも古代に行われた「歌垣(うたがき)」についてご紹介する。

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歌垣が行われたとされる茨城県・筑波山

■歌垣とは

日本には古来より自然信仰や呪的信仰が存在し、古事記や日本書紀の時代から多くの儀式や行事が行われてきた。歌垣とはこれまでの豊穣を祝い、未来の豊穣を願うための儀式の一つである宗教的行為であり、主に作物の芽吹く春や収穫期の秋に行われた事から、農耕儀礼として定義される。

農耕儀礼である歌垣だが、同時に不特定多数の男女が結婚相手や恋人を求めて集まる「出会いの場」としても機能していた。呪的解釈による植物にも繁殖行為は存在するという観念から、集まった男女間における性の交わりも許容されていた。

山や海など、歌垣が催される場所に集まった男女は、会話や飲食、歌の掛け合いを行いながら互いの関係性を深めた。歌の掛け合いには優劣があったとされ、より魅力的で言霊(言葉に内包されると信じられていた呪力)の強い歌を用いた側が出会いの主導権を握った。

■性的交わりの実情

歌垣における男女の肉体関係については様々な学説が存在するが、従来からの歌垣論には「性的解放」という表現が散見される。

性的解放と聞くと、集団で性行為に興じる乱交的な意味合いを思い浮かべがちだが、実際にそのような事がなされたであろう確固たる証拠はない。

最近の研究では、あくまでも歌垣は出会いのきっかけとして機能し、歌の掛け合いで負けた女性もしくは意気投合した男女同士が、歌垣を通して結果的に性的交わりに至ると考えるのが自然とする説がある。

男女が集まりフリーセックス? 古代の日本に実在した風習「歌垣」とは


歌垣に関する記載が確認できる「古事記」

■歌垣の二面性

歌垣は農耕儀礼であるが、それは儀式の発端としての定義であり、日本で行われていたすべての歌垣に農耕儀礼の本質を見ることはできない。

中には、時代の変化と共に信仰としての神事から分離し、娯楽・求婚活動としての性格が強くなった歌垣の存在も指摘されている。
神事としての歌垣と、そこから派生した娯楽行事としての歌垣は似て非なるものとして認識するべきである。

歌垣の具体的内容が記載されている文献や資料は非常に少なく、「古事記」や「日本書紀」「万葉集」に少量が確認できるが、西暦700年以降の歴史からはその存在が確認されていない。

歌垣に関しては、上記の理由からその実態が解明されておらず、時代や土地、目的によって様々な性格を有するため目的を限定することはできない。ただし、当時の男女にとって貴重な出会いの場として機能していたことは間違いないだろう。

参考:「歌垣研究における「性的解放」説批判」

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