そんな三助の歴史を紹介したいと思います。
■見習い三助の仕事
風呂屋に雇用された三助見習は、昼間には普請場や解体現場に行って薪になる廃材や古材木などを貰ってきて、夕方には客が脱いだ服や靴などを片づけます。
見習いから2年たつと釜焚きに参加することができ、3年目に入浴客の身体を洗う「流し」の許可が降りて初めて「三助」と名乗ることができるのです。
しかし、一人前として認められるには10年以上の修業期間が必要だったそうです。
■イケメン三助は女性から大人気

三助は男湯も女湯も自由に行き来することができ、客に呼ばれればすぐに駆けつけて背中を洗います。イケメンの三助やイケメンでなくとも手際のよい三助は高い支持があったそうで、女性客からチップも貰っていたのだとか。
■三助が消えた理由
三助の多くは貰ったチップを貯金して風呂屋の経営者へと独立していき、大変な肉体労働である三助を続けようという者も少なかったようです。

それに加え、三助という仕事が次第に女性への性的サービスへと変わってしましい、取り締まりされたことも原因だと言われています。
■現代の三助

三助は江戸時代の中頃から現代まで引き継がれてきた歴史ある職人業なのですが、2009年に「橘秀雪」さんが最後の三助となります。
そんな橘さんも2013年12月29日をもって三助を引退しました。
しかし、「草加健康センター湯の泉」では、橘秀雪さんの指導を受けた「お背中流しサービス」をやっており、現在でもも三助の技術を味わうことができます。この記事を見て興味を持った方はぜひ行かれてみてください。
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