雅楽は1200年以上の歴史を持つ日本の古典芸能であり、中国大陸や朝鮮半島から渡来した音楽や舞が、日本古来の歌舞と融合して日本独自に整えられて完成したものです。
雅楽は宮廷や寺院・神社において盛んに演奏されました。
さてこれからは、この雅楽で使われた不思議な【お面】についてご紹介します。
■聖徳太子千四百年御聖忌結願法要聖霊会
聖徳太子立像 出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp)
令和4年は『聖徳太子』が没して1400年目となる節目の年です。
大阪の四天王寺では4月22日に『聖徳太子千四百年御聖忌結願法要聖霊会(しょうりょうえ)』が行われました。“結願”とは法要の最終日という意味です。
この日は日本三大石舞台の一つである“四天王寺”の石舞台の上で、聖徳太子の御霊を慰めるという雅楽が執り行われました。
荘厳な雅楽に乗せて行われる舞楽の中で、このような舞がありました。

聖徳太子御聖忌結願法要聖霊会で舞う人
え、何?あのお面!?
雅びな舞のその顔につけられた、【お面】のようなものがとても不思議でした。
調べてみると『人面を抽象化した図柄の“雑面(ぞうめん)”という異様な風貌の紙製の仮面』ということぐらいしか紹介されていないのです。
人の顔を抽象化して描いているとしても、何か意味があるとしか思えません。そして何故あのような雑面をつけるのでしょうか。
■蘇利古(そりこ)

舞楽図 画:高島千春 文政11(1828)蘇利古
上掲は『蘇利古』を舞う人の姿です。
舞楽では中国系を源とするものを左方の舞として左舞、朝鮮半島系を源とするものを右方の舞として右舞と呼びます。
『蘇利古』は雅楽右舞の“曲名”で、朝鮮半島系の流れをくむものです。
また「古事記」では、応神天皇の時代(270年頃)に百済人である須須許理(すすこり)が日本に来て、酒を造って之を献じたことが書かれており、須須許理が蘇利古(そりこ)と音が近いので、曲名はここに起こったのであろうと記されています。
そして古代の朝鮮において酒を醸造する時には、必ず先ず井戸と竈とを祀り、また舞を演じたので、竈祭舞(かまどまつりのまい)とも呼ぶと書かれています。
■蘇利古の雑面
前掲の写真の雑面は『蘇利古』の雑面です。
詳しく見てみると、

蘇利古 マサラキッチン様ご提供(www.masalakitchen.jp)
このような図案になっています。
先にご紹介した『蘇利古』の絵では、雑面の黒い三角の部分は、舞う人が外が見えるように穴をあけてありますが、これが正式な蘇利古の雑面です。
これが人面を抽象化しただけのものなのでしょうか。それならば奇妙です。
例えば目は二本線の部分でしょうか?
そうだとするならば、その上の黒い三角形の部分は?その上の綾型を半分に重ねたような模様は何を意味するのでしょうか。
何も無いところからは、何も生まれません。
千と千尋の神隠しにも出ていた?「蘇利古」の面の謎(その2)に続きます。
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