それを聞いた知り合いの駿州人(静岡県東部民)は「しょっぱい餅なんてあり得ない。
まぁ「みんな違ってみんないい」のですが、せっかくなので今回はこの安倍川餅について調べてみたいと思います。
■徳川家康に献上された「金な粉餅」
安倍川餅とはその名の通り安倍川(静岡県静岡市)のほとりで生まれた餅です。
伝承によれば、徳川家康(とくがわ いえやす)がご当地に立ち寄ったところ、茶屋の主人が献上したのが始まりとのこと。
当時、安倍川の上流には梅ヶ島金山(うめがしまきんざん)があり、流域では砂金が採れたと言います。
そこで主人はつき立てホカホカの餅に黄粉(きなこ。大豆粉)をまぶし、これを砂金に見立てたのです。
「さぁさ召しませ、安倍川名物『金な粉もち』にござる……」言われてみると、確かに砂金をまぶしたっぽい(イメージ)
「上様。こちらが当店自慢『安倍川の金な粉(きなこ)餅』にございまする」
やわらかな餅の触感と温かく香り立つ黄粉のやさしい甘味がたまらない……家康はこれを安倍川餅と名づけたのでした。
後に江戸時代ではまだ珍しい白砂糖をまぶしたことで一層の人気を呼んだ一方、当然コストもかかるため「五文どり(五文採・五文取。一個で五文をとる)」と呼ばれる高級品だったそうです。
それでも美味しさゆえに旅人たちから愛され続け、東海道府中宿(五十三次19番目)の名物として現代まで伝わりました。
■暴れん坊将軍も、安倍川餅が大好き!
かの第8代将軍・徳川吉宗(よしむね)も安倍川餅が好物だったそうで、駿河出身の古郡孫太夫(ふるごおり まごだゆう)に安倍川餅を作らせたエピソードが『耳嚢(みみぶくろ)』に記されています。

徳川吉宗。彼がニコニコ顔で安倍川餅を頬張る姿も見てみたい(イメージ)
何でも富士山の雪解け水で育った糯米(もちごめ)が美味さの秘訣らしく、毎年駿河より取り寄せては作るのを、いつも楽しみにしていました。
「孫太夫、餅はまだか?まだか?」
「ただいま搗(つ)いておりまする。いま暫しお待ち下さいませ」
少年のように目を輝かせてお餅をねだる暴れん坊将軍……とても可愛いですね。
質素倹約に努め、一日二食の一汁三菜を守った吉宗にとって、安倍川餅を食べるのは至福のひとときだったことでしょう。
■終わりに
かくして人々に愛された安倍川餅は令和2年(2020年)、日本遺産のストーリー『日本初「旅ブーム」を起こした弥次さん喜多さん、駿州の旅~滑稽本と浮世絵が描く東海道旅のガイドブック(道中記)~』を構成する要素(文化財)として認定されています。

山梨名物と言えば、こちら信玄餅(イメージ)
またお隣の山梨県では安倍川餅を黄粉と黒蜜で食べる習慣があり、ここから甲州名物「信玄餅」が生まれました。
これからも安倍川餅の文化が多彩に花開き、末永く人々に愛されることを願っています。
※参考文献:
- 奥山益朗 編『和菓子の辞典』東京堂出版、1983年
- 小和田哲男 編『静岡県謎解き散歩』新人物往来社、2011年
日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan