日本では、古くから男根信仰がありました。多産や豊穣をもたらすものとして崇拝されてきて、金精神と称されます。
なかでも群を抜いて大きなものを巨根と呼ぶことがあります。

今回は、そんな巨根伝説を持つ奈良時代の僧侶・弓削道鏡(ゆげどうきょう)についてご紹介していきたいと思います。

女性天皇をたぶらかした悪僧・弓削道鏡。「日本三大悪人」のひとりとされた彼の悪評は捏造!?
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「日本三悪人」などと呼ばれることもある人物ですが、いったいどのようなエピソードがあるのでしょうか?

■もともとはごく普通の僧侶だった

その精力に女帝も虜!?日本三悪人のひとり、奈良時代の僧侶・弓削道鏡に残る”巨根伝説”とは


道鏡 浮世絵(歌川国貞 画)

弓削道鏡という名前よりも「道鏡」とだけで知られていることが多いかもしれません。弓削道鏡は弓削氏という一族のひとりです。

700年前後の生まれと考えられていますが、明確にはわかっていません。若いころは仏教を学びます。

■朝廷に出入りできるように

詳しい経緯や理由はわかっていませんが、弓削道鏡はその後朝廷の宮内に出入りできるようになりました。当時の僧侶は医者のような役割も持っていました。

そして、彼の運命を変える出来事が起こります。それが、女性の天皇である孝謙上皇(後の称徳天皇)の病気を看病したこと。761年のことでした。




■孝謙上皇の寵愛を受け、政治力を持つ

孝謙上皇は看病してくれた弓削道鏡に夢中になります。彼女の寵愛を受け、弓削道鏡はただの僧侶ではなく、政治力も持つ人物になっていきます。

孝謙上皇は一度天皇を引退しますが、もう一度称徳天皇として天皇に即位。その際、弓削道鏡に法王という高い位を与えました。彼は仏教関連の政策に力を入れますが、770年(宝亀(ほうき)元年)に称徳天皇が亡くなると、道鏡の力も弱まっていきました。

■道鏡の巨根伝説とは?

道鏡には、巨根伝説という俗説があります。上記のとおり、弓削道鏡が孝謙上皇に大切にされるようになったのは彼女の病を直したからというのが定説です。しかし、彼が巨根であり、その精力で彼女に取り入ったのではないか、という俗説もあります。

江戸時代には、「道鏡は 座ると膝が 三つでき」という川柳まで詠まれるほど。真偽のほどは定かではありませんが、インパクトは大きいですね。

ちなみに、道鏡は平将門・足利尊氏とともに「日本三悪人」と称されることがあります。しかし、道鏡の悪人説の出所である『続日本紀』が道鏡を失脚させた藤原氏のカラーが濃い資料であることなどから、近年では道鏡の悪いイメージが取り払われつつあります。


いかがでしたか?この記事が、みなさんが少しでも日本文化や歴史の面白さに興味を持つきっかけになれば嬉しいです。

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