信康に仕え岡崎を守る優秀な家臣
大岡弥四郎 おおおか・やしろう
[毎熊克哉 まいぐまかつや]
徳川家嫡男・信康を補佐する岡崎城奉行。瀬名や譜代の家臣たちも信頼を寄せる切れ者で、家康は信康に岡崎城城主を任せる時に、その守り役を申し付ける。
穏やかで人当たりのよい顔とは異なる、秘めた野心を持っている。

※NHK大河ドラマ「どうする家康」公式サイトより

優秀で性格もよいけど、実は腹に一物もっている……そんな属性がにじみ出ている人物紹介ですね。

さて、そんな大岡弥四郎(おおおか やしろう。大賀弥四郎)を演じるのは毎熊克哉。 果たして物語をどのように彩ってくれるのでしょうか。

今回は江戸幕府の公式記録『徳川実紀(東照宮御実紀、同附録)』より、大岡弥四郎のエピソードを紹介したいと思います。

■【結論】武田勝頼との内通により処刑される

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武田勝頼。歌川芳虎筆

……勝頼は    当家の御家人大賀弥四郎といへる者等を密にかたらひ。岡崎を乗とらんと謀りしも。その事あらはれて大賀等皆誅せられしかば。……

※『東照宮御實紀』巻二 天正三年「長篠役(大戦之三)」

【意訳】天正3年(1575年)ごろ、武田勝頼(演:眞栄田郷敦)は徳川家臣の大賀弥四郎を調略。

共謀して岡崎城を乗っ取ろうとするも計画が露見。
弥四郎ら一味はことごとく処刑された。

……という事でした。面従腹背とはまさにこの事、劇中では二面性のあるキャラクターが予想されます。

「もうちょっと詳しく知りたい!」という方は、以下『東照宮御實紀附録』の方も合わせてお付き合い下さい。

■才能を開花させ、家康・信康から信頼される

【どうする家康】忠義の裏に秘めた野心…毎熊克哉が演じる大岡弥四郎(大賀弥四郎)の末路【前編】


事務方の才能にひいでていた弥四郎(イメージ)

……大賀弥四郎といへるははじめ中間なりしが。天性地方の事に達し算数にもよく鍛錬し。物ごとに心きゝたる者なれば。会計租税の職に試みられしによく御用に立しかば。次第に登庸せられて三河奥郡廿餘村の代官を命ぜられ。其身浜松に居ながら折々は岡崎にも参り。   信康君の御用をも勤めければ。今はいづ方にも弥四郎なくては叶はぬといふ程になり。
専らの出頭人とぞなりにける。……

※『東照宮御実紀附録』巻三「誅大賀弥四郎」

大賀弥四郎はもともと中間(ちゅうげん。下級の奉公人)でしたが、地方(じかた。地域行政)の才能があったと言います。また算術に長けて機転が利いたため、出世した三河奥郡の20ヶ所で代官を務めました。

基本的に家康の治める浜松にいましたが、重宝されるため岡崎にも呼ばれるようになり、信康の仕事も請け負うようになります。

何かと重宝したものですから、次第に弥四郎がいなくては始まらないほどの出世頭になったのでした。



■才能におごり高ぶり、家臣たちをえこひいき

【どうする家康】忠義の裏に秘めた野心…毎熊克哉が演じる大岡弥四郎(大賀弥四郎)の末路【前編】


家康の寵愛をたてに、威張り散らすようになった弥四郎(イメージ)

……此者元より醇良にもあらぬ人の。思いの外時に逢しより。次第に驕奢につのり奸曲の挙動ども少からず。御家人の内舊功ある者も。己が意にかなはざればあしざまにいひなし。
又おのが心に志たがへばよくとりなしければ。御家人いづれも内には憎み怨ぬ者もなかりしかど。両殿の御用にたち威勢ならびなければ。たれ有てそが悪事を計発する者もなし。……

※『東照宮御実紀附録』巻三「誅大賀弥四郎」

しかし出世するにつれて次第におごり高ぶるようになり、よからぬ事も少なからず行っていたようです。

家康・信康に重用された弥四郎は家臣たちをえこひいきし、武功があっても気に入らない者は遠ざけ、へつらい者は取り立ててやったと言います。

それでみんな内心では弥四郎を恨んでいたものの、面倒ごとに巻き込まれまいとあえて告発するようなことはありませんでした。

■もう我慢できぬ!近藤ナニガシの怒り

【どうする家康】忠義の裏に秘めた野心…毎熊克哉が演じる大岡弥四郎(大賀弥四郎)の末路【前編】


弥四郎の傲慢な態度に腹を立てた……が、堪えてその場を立ち去る近藤ナニガシ(イメージ)

……かゝる所に近藤何がし戦功有て采地賜はるべきにより。弥四郎が許に行て議しけるに。弥四郎いふ。御辺がことはわれよきにとりなせしゆへこの恩典にも逢しなり。この後はいよいよ精仕して我にな疎略せそといへば。
近藤いかつて何ともいはず直に老臣の許に行て。新恩の地返し奉らむといふ。いかなる故と問ふにしかじかのよし述て。某いかに窮困すればとて。あの弥四郎に追従して地を賜はらん様なるきたなき心はもたず。もし彼がいふ所のことくならんには。一粒なりとも受奉りては。武夫の汚名これにすぎず。かゝること申出で御咎蒙り腹切むも是非なし。恩地は返し奉らんと云てきかざれば。老臣等も詮方なくそのよし御聴に達しければ。……

※『東照宮御実紀附録』巻三「誅大賀弥四郎」

そんな中、近藤ナニガシという者が戦功によって所領を賜わりました。
すると弥四郎がこんなことを言い出します。

「此度の恩賞は、わしが口添えしてやったお陰じゃからな。この恩義を忘れぬように」

「……」

近藤ナニガシは何も言わずにその場を立ち去り、家老たちに詰め寄りました。

「こたび新恩の所領はお返し申す!」

いったい何事かと家老たちが尋ねると、近藤ナニガシは鼻血を噴かんばかりに訴えます。

「それがし如何に困窮しようと、あの弥四郎におべっかを使って知行にあずかろうなど、そこまで落ちぶれてはおらぬ!」

「あんなヤツの口添えで米一粒でも貰ったら、武士として末代までの恥辱。この態度が気に入らんと言うなら、切腹でも何でも受けてやる!」

この一件についてどうしたものか、家老たちは家康に報告しました。



■家康が自ら事情聴取

【どうする家康】忠義の裏に秘めた野心…毎熊克哉が演じる大岡弥四郎(大賀弥四郎)の末路【前編】


訴えを受けて、頭を抱える家康(イメージ)

……御みづから近藤を召て。汝に加恩とらするは弥四郎が取なしに非るはいふまでもなし。汝嚮(さき)に岡崎にありて早苗取しときわがいひし事を。今にわすれはせじと宣へば。近藤感涙袖をうるほして御前をしりぞきぬ。其後又ひそかに近藤をめして。
弥四郎が事つばらに問せ給へば。近藤承り彼元より腹あしき者にて種々の悪行あれども。常時両殿の寵遇を蒙るゆへいづれも願望していひ出ることあたはず。この儘に捨置せ給はゞ。御家の大事引出さむも計りがたし。御たづねあるこそ幸なれとて。種々の悪事どもかぞへ立て言上し。なほ詳なることは目付もて尋給へといふ。……

※『東照宮御実紀附録』巻三「誅大賀弥四郎」

「ふむ……左様なことがのぅ」

家康はさっそく近藤ナニガシを召し出し、丁寧に諭しました。

「此度の恩賞は、ひとえにそなたの武功ゆえなれば、弥四郎のとりなしなど関わりなきこと。そなたとかつて交わした約束を、わしは今も忘れてはおらぬ」

「殿……!」

主従で共に乗り越えた岡崎時代の苦難を思い出し、感涙に袖をぬらす近藤ナニガシ。その後、家康は改めて近藤ナニガシを呼び出します。

「あの弥四郎は、そんなに評判が悪いのか?」

「は。このまま放置すれば、遠からず当家に害をなしましょう」

問われるままに近藤ナニガシは弥四郎に関する後ろ暗い噂を報告。今まで信頼していた弥四郎がそんなことを……家康は大層驚いたのでした。

【後編へ続く】

※参考文献:

  • 『NHK大河ドラマ・ガイド どうする家康 前編』NHK出版、2023年1月
  • 『徳川実紀 第壹編』国立国会図書館デジタルコレクション

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