武家の棟梁たる征夷大将軍の地位を嫡男の秀忠に受け継ぎ、徳川の世を磐石なものとしつつありました。
そんな二代目・秀忠には竹千代と国松という二人の息子がいましたが、秀忠と母の江姫は、どうやら弟の国松がお気に入り。徳川の跡目を譲りたいようです。
兄を差し置いて跡目を継がせて本当によいものか、家康は二人を試すこととしたのでした。
■「その場に座れ」竹千代と国松の反応は
徳川家康(画像:Wikipedia)
それはある雨の日のこと。
「おぉ、竹千代に国松。よう参ったな」
「「はい、お爺様!」」
「うむ。二人とも良い子じゃのぅ」
家康は目に入れても痛くない孫たちを迎えてご機嫌です。
「で、さっそくなんじゃが、二人とも庭に出よ」
家康の言葉に、周囲の者たちは驚きました。
「大御所様、表は雨降りにございますれば……」
「せめて草履や傘をお持ちいたしますゆえ、しばしお待ちを……」
しかし家康は有無を言わせません。
「よいから、今すぐ出よ」
「はい!」
裸足のまま、元気よく庭に飛び出したのは竹千代でした。国松は、モジモジしてその場に留まったままです。
「あの、父上?」
「義父上は国松を雨ざらしにしようと仰せでしょうか?それはあまりに気の毒というもの……」
秀忠と江姫の戸惑いに構わず、家康は命じます。
「わしが『出よ』と言うたら出よ。竹千代は既に出ておろうが、そなたら竹千代の心配はせんのか?」
そう言われてしまったら、出さない訳には行きません。国松は袴のすそを高く持ち上げ、しぶしぶ庭先へ出たのでした。
「はい、出ました!」
「……はい、出ました」
竹千代は元気よく、国松は今にも消えそうな声でそれぞれ答えます。
二人の足は早くも泥だらけ。これを見た家康は、続けて二人に命じました。
「うむ。では二人とも、その場に座れ」
「はい!」
竹千代は泥に尻跡を刻まんばかり、勢いよく座り込みました。国松はしばし立ち尽くした後、袴のすそをギリギリまで持ち上げながらようやく座ります。
「次は何をいたしましょうか!」
「……」
二人とも、上等な着物がずぶ濡れの泥だらけ。今にも泣き出しそうな国松に構わず、竹千代は家康に尋ねました。
ここに来て、家康は祖父の顔に戻って二人に命じます。
「二人とも、次は風呂で身体を温めて参れ。誰か、着替えも支度せよ」
こうして家康の試験は終わったのでした。竹千代も国松も、風邪をひかないといいですね。
■天下を有(たも)つの器とは

徳川秀忠(画像:Wikipedia)
家光と弟忠長と未だ幼稚なりし時、家康両人雨中に、庭に出よと言はれしに付、則ち出る時、家光は裾を掲げず、其儘出でり、忠長は裾を高々と掲げて出でり、地の上に座せよと言はれし時、家光は其儘座せり、忠長は彌々裾を高く掲げて座せり、家康爰に於て家光天下を有つの器あることを知られけり。「天下の跡目は、竹千代に継がせよ」
※『名将言行録』巻之四十三
後に家康は、秀忠にそう命じたとか。
「時に父上。先日のアレは一体何のためになされたのでしょうか?」
二人を雨ざらしで泥の上に座らせて、家康が何をしたかったのか分かりません。家康は答えます。
「あれは器を見たのじゃ」
必要とあれば、服など構わず雨の中でも泥の上でも自分の意思で飛び出す胆力。
服が汚れたら、家臣に着替えを用意させればよいのです。自分の服にこまごま気を遣うなど、主君たるものの振る舞いではありません。
人の上に立つ者は、時に汚れることも厭わず大胆に振る舞い、細かな始末は部下に委ねる器量が求められます。
では最初から汚れ仕事は任せればよいと考えるかも知れませんが、それではいざ有事に自分の身を守ることができません。
自分ですべきことと部下に任せることをきちんと見定めてこそ、人の上に立てるのです。
家康はそこまで考えて、二人に試験を課したのでした。
■終わりに

徳川家光(画像:Wikipedia)
○徳川家光やがて竹千代は成長して江戸幕府の第3代将軍・徳川家光となります。
徳川秀忠の子、征夷大将軍に任じ、累遷して、従一位左大臣と為る。慶安四年四月二十日薨、年四十八、正一位太政大臣を贈らる。
※『名将言行録』巻之四十三
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「父や祖父はそなたらと同輩であったこともあろうが、余は生まれながらの将軍である。心して仕えよ」
諸大名の前で言い放ったこの格言は、生まれ持った資質を示すものでした。
徳川家光の面白いエピソードはまだまだ他にもあるので、改めて紹介したいと思います。
※参考文献:
- 『名将言行録 6』国立国会図書館デジタルコレクション
日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan