■歴史マメ知識:「一揆(いっき)」とは何か?

日本史を勉強していると、「一揆(いっき)」という単語をよく見かけます。この一揆とは何でしょうか。


よくイメージされるのが、百姓たちが鍬や鎌、竹槍などを持って代官屋敷など襲撃している光景。

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よくある一揆のイメージ

実際にそのようなこともあったため、それも間違いではありません。

しかしこうした武力行使は一揆の一形態に過ぎず、実際には様々な一揆がありました。

「一揆(いっき)」とは何か?平安時代から江戸時代・近代まで様々な種類があった一揆の歴史をたどる


幕末・明治初期の古写真

そこで今回は一揆の歴史をたどり、「一揆とは何か」「一揆の種類」について紹介したいと思います。

■一揆の起こりは平安時代?

一揆という言葉が使われ始めたのは平安時代ごろ(諸説あり)。当初は共同で何かを取り決めたり、したりすることを言いました。


例えば院政期には寺院同士で結んだ協定を一揆契約と呼んでいます。

元暦元年(1184年)には永久寺において「満山一揆之起請」、つまり「寺の全員(満山)で一揆する」旨が誓われました。



■鎌倉時代の一揆

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一揆を申し出る鎌倉武士(イメージ)

鎌倉時代に入ると、一揆には「心を一つにする」「同心(共感の上で協力)する」ニュアンスが含まれ、動詞として使われるようになります。

例「それがしも、そなたに一揆しようぞ」

これは易占(えきせん。占い)の結果や解釈が一致することに由来するそうです。

占いが人の考え方や行動に大きく影響を与えたことがうかがえます。


あまり組織的だった感じではなく、個人間の共感や協力だったイメージです。

■南北朝時代の一揆

やがて鎌倉幕府が滅亡して南北朝時代に入った辺りから、一揆のイメージが大きく様変わりしました。

武士団や寺院、村落などで自衛や利権保護を目的とする組織的な一揆が発生します。

例えば武士団・軍団同士の一揆や、一族間の争いに伴って発生した一族一揆、また国人(こくじん。在地の武士団)による国一揆などが起こりました。

また借金の棒引きや土地の返還を命じる徳政令を要求する徳政一揆なども起こり、混乱した世相が感じられます。


■室町・戦国時代の一揆

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三河一向一揆の死闘。月岡芳年筆

南北朝後期から室町時代にかけて、百姓ら庶民層(土民)による土一揆や荘家一揆(荘家≒荘園の領民)が興隆。一揆は次第に庶支配層への抵抗運動の性質を帯びていきます。

戦国時代に差しかかると、一向宗(浄土真宗)門徒による一向一揆や法華宗徒による一揆など宗教勢力も力を持つようになりました。

また民衆による地域コミュニティである惣(そう)と有力武士である国人らが国単位で既得権益に抵抗する惣国一揆も起こります。



■江戸時代の一揆

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百姓一揆の様子。
実際に武力・武器が用いられた事例はごくわずかだった(イメージ)

やがて徳川家康による天下一統・元和偃武が成り、武威と仁政の大義名分によって人々は武力行使を封じられていきました。

『編年百姓一揆史料集成』によると、江戸時代に発生した百姓一揆は、日本全国・全期間を通しておよそ1,500件。

うち武器の携行・使用が確認された一揆はわずか14件しかありませんでした。

残り1,400件以上の一揆は何をしたかと言うと、訴願(強訴、越訴など)や逃散(ちょうさん)と言った非暴力の手段です。

訴願は文字通り訴え願うこと。逃散は村落単位で夜逃げして、領主を干上がらせてやる作戦でした。


こんな回りくどいことをしなくても、直接殴り込んだ方が早そうなのに……と思いますが、これは幕府の力が強大であったことが関係します。

お大名らに武力で立ち向かっても勝てませんが、そのお大名らは幕府の権力を恐れました。

支配下の領民が不満をため込んでいると「ちゃんと領国を統治できていない」と見なされ、お家を取り潰されるリスクがあったのです。

だからこそ多くの人々は、暴力よりも法道徳や政治倫理に訴える方法で抵抗したのでした。

■幕末の世直し一揆・打ち壊し

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乱入する農民たち(イメージ)

やむを得ず武力蜂起に及んだ14件にしても、一揆参加者は部外者への暴力や放火、盗みを禁じそれを遵守したそうです。

「すみません。
これからお宅を打ち壊すんで、火事が出ないよう火の元を始末させて頂きますね」

怒りに任せて破壊と略奪、暴力に走らない武力行使は、実に日本人らしいと言いましょうか。

かくして幕末期に頻発した打ち壊しや世直し一揆といった武力行使も、世界史上例を見ない紳士的なものとなったのです。



■明治時代以降の一揆

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伊勢暴動(明治9・1876年)の様子。月岡芳年筆

大政奉還によって徳川幕府が滅亡し、戊辰戦争や明治維新を通じて武士の世が終わりを告げると、不平士族たちの決起が相次ぎました。

従来の学説では「新時代に取り残された旧士族が既得権益を奪還すべく、暴力行使に走った」とされますが、それはごく一部に過ぎません。

彼らの多くは明治政府の堕落に憤り、真に王道楽土の政治を目指す維新のやり直しを志したのでした。

しかし西南戦争によって巨魁・西郷隆盛が倒れると、武力による闘争を断念。

武器を刀から言論にかえてあるべき日本の姿を追求したのでした。これが後世に伝わる自由民権運動です。

また庶民たちも明治政府の搾取と弾圧に抗するべく決起する事例が相次ぎました。

こうした闘争の末に累々と積み上げられた先人たちの亡骸こそ、現代日本の礎に他なりません。

■終わりに

以上、平安時代から近代にかけて一揆の歴史をたどってきました。

(あくまでごくざっくりであり、すべてをカバーし切れていないことはご了承ください)

農民だけが一揆を起こした訳ではないのですね。また、武力行使がごく一部に過ぎないことが意外でした。

いつの時代も人々が力を合わせ、心を一つによりよい世の中を求めて行動してきたからこそ、現代日本の豊かさがあります。

暴力はいけませんが、政治や社会に対して声を上げ、一人ひとりが力を合わせて行動を起こして行きたいものですね。

※参考文献:

  • 呉座勇一『一揆の原理』筑摩書房、2015年12月
  • 小林よしのり『大東亜論第二部 愛国志士、決起ス ゴーマニズム宣言SPECIAL』小学館、2015年12月
  • 須田努『幕末社会』岩波新書、2022年1月

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