お金がない苦しみを味わった人がお金を手に入れると、否が応でもお金の貴重さを感じずにはいられません。
今回は平安時代に歌人として活躍した平兼盛(たいらの かねもり)が詠んだこんな和歌を紹介したいと思います。
■人々を惹きつけるお金の魔力
富に群がる人々(イメージ)
招かねど あまたの人の 集(すだ)くかな【意訳】呼んでもいないのに、多くの人たちが私のもとに集まってくるではないか。いやぁ、富というものは実に愉快だなぁ……。
富といふものぞ 楽しかりける
貧乏な時は誰も寄り付きやしないのに、財産が手に入ると、どこからともなく金の匂いをかぎつけた連中が集まってくる。そんな様子が詠まれています。
現代でも宝くじが大当たりするなど、ひと財産を築くや否や、今まで会ったこともない「親戚」や「友人」が金を集(たか)りにやってくるものです。
「そんなお金目当てで人が寄ってきても、お金がなくなれば誰もいなくなるよ。そんなの嬉しいの?」
なんて声も聞こえそうですが、それさえも嬉しくなってしまうほど、貧乏に苦しんだ人も少なくありません。
果たして兼盛はそこまで貧乏だったのか、その生涯も振り返ってみましょう。
■平兼盛の略歴
平兼盛は生年不詳、元は皇族で兼盛王と呼ばれましたが、臣籍降下により平姓を与えられました(光孝平氏)。
父親については諸説あり、平篤望(あつもち)または平篤行(あつゆき)が有力のようです。
村上天皇・冷泉天皇・円融天皇の三代に仕えて地方官や京官を歴任。
そして正暦元年12月28日(991年1月16日)に卒去します。
■歌人として活躍

狩野尚信「三十六歌仙額」より、平兼盛(画像:Wikipedia)
元皇族としてはあまりパッとしないキャリアではあったものの、歌人としては大いに才能を発揮します。
兼盛の和歌は『拾遺和歌集』や『後拾遺和歌集』に多く採録され、『後撰和歌集』などにも約90首が採録されるなど、存在感を発揮しました。
その作風は才能に任せてスラスラ詠むタイプではなく、一首々々を丁寧に作り込むタイプだったと言います。
さりながら才智をひけらかすように技巧を散りばめるより、シンプルに洗練された表現を突きつめていました。
しのぶれど 色にいでにけり わが恋はこれは天徳内裏歌合(てんとくだいりうたあわせ。天徳年間に行われた和歌大会)で発表されたもの。
物や思ふと 人のとふまで
※「小倉百人一首」
「この恋心を人に知られないと必死に隠しているが、どうしても隠しきれず、人から『誰に恋をしているのですか』と訊ねられてしまった。それほど私の恋心は激しいのだ」
分かりやすく、かつ強い思いが伝わりますね。
■赤染衛門の実父?

月岡芳年「月百姿 赤染衛門」
兼盛には妻がいましたが、やがて離婚してしまいます。
その時妻は妊娠しており、赤染時用(あかぞめ ときもち)と再婚後に娘を出産しました。
この娘が後の赤染衛門(あかぞめゑもん)ですが、彼女の親権をめぐって兼盛は訴訟を起こします。
訴訟の結果について明確な記録はないものの、赤染衛門という女房名からして恐らく兼盛の敗訴だったのでしょう。
勝訴して自分の娘になっていれば、平衛門……いや、衛門でなく他の官職名を称していたと考えられます。
いずれにしても、あまり家庭に恵まれた様子は感じられません。
キャリア・和歌・家庭から兼盛の人物像を想像すると
「元皇族というプライドが捨て切れず、才能はあっても偏屈の世渡り下手、幸せな家庭を築くことはできなかった」
のかも知れませんね(違ったらごめんなさい)。
■終わりに
今回は平安時代に活躍した歌人・平兼盛について紹介してきました。
冒頭の和歌にあるような、富に執着するほど貧乏に苦しんだ様子はないものの、それでも富を渇望していたものと思われます。
劇中時点では既に亡くなっているためNHK大河ドラマ「光る君へ」には登場しないでしょうが、折に触れて赤染衛門が言及しても面白いですね。
※参考文献:
- 赤坂恒明『「王」と呼ばれた皇族 古代・中世皇統の末流』吉川弘文館、2019年12月
- 山口博『日本人の給与明細 古典で読み解く物価事情』角川ソフィア文庫、2015年8月
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