■道鏡とはどんな人物か

奈良時代の僧侶・道鏡は、天皇の寵愛を利用して皇位簒奪を図った人物として知られています。

そのため彼は、権力欲にまみれた朝廷の敵として長年イメージされ続けてきました。
彼は女性天皇と愛人関係になって彼女を意のままに操ったとして、そのたくらみは歴史上、厳しく糾弾されてきたのです。

しかしこの見方はすでに古いものです。

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そもそも、道鏡はどんな人物なのでしょうか。そして歴史上、どのような事件を起こしたとされてきたのでしょうか。『続日本紀』によると、そのいきさつは以下の通りです。

彼は河内国(大阪府)出身の僧侶だとされており、若い頃から全国諸寺で修行を積み、内道場(宮中の仏殿)への入場を許可される高僧となりました。

そんな折、朝廷が政争に明け暮れるなかで即位した孝謙は、豪族から猛反発を受けてすぐに皇位を譲ってしまいました。

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孝謙天皇(Wikipediaより)

度重なる政争の影響か、彼女は病を患いました。そんな孝謙を癒したのが道鏡でした。道鏡は彼女を親身に看病して、強い信頼を得ることになったのです。

この状況を危惧した藤原仲麻呂は、道鏡排斥などを目的として挙兵しますが、反乱は失敗。
仲麻呂を支援していた淳仁天皇は廃位されて淡路へ配流となり、上皇が再度即位(重祚)して称徳天皇となりました。

称徳の治世下においても、道鏡は贔屓されて権力を集中させていきます。やがて太政大臣禅師や法王の地位を得た道鏡は、宇佐八幡宮による「道鏡を皇位につかせよ」という神託を利用し、天皇の地位を狙いました。

しかし、和気清麻呂が道鏡即位を否定する新たな神託をもたらしたことで、狙いは失敗。天皇が崩御すると道鏡は失脚しました。

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和気清麻呂像

以上が、『続日本紀』に基づくかつての通説でした。

しかし『続日本紀』は朝廷主導で奈良時代の歴史を描いた正史で、平安時代初期に編纂されたものです。その記述の信憑性については疑わしいところもあります。

■処罰が軽すぎる?

そもそも、道鏡が皇位簒奪を図ったのなら、『続日本紀』の記述には不可解な点があります。

天皇の死後、道鏡は親族もろとも下野薬師寺に追放されていますが、僧籍(僧侶の身分)は残されたままでした。皇位を狙った反逆者への罰にしては、軽いと言わざるを得ないでしょう。

なお、天皇との愛人関係に関する言説は、江戸時代に書物を通じて広がった俗説です。
『続日本紀』には見当たらない記述であり、完全な創作だと考えたほうがいいでしょう。

現在では、道鏡の出世は孝謙が主導したという説が有力です。孝謙にとって道鏡は、自らの統治を強化するうえで重要なパートナーだったのです。

群臣のなかには孝謙とは別の血統を望み、謀反を企てる者も少なくありませんでした。そこで、仏教を重視した父・聖武天皇の路線にならい、仏教による統治の強化を図ろうとしたのだと現在は考えられています。

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聖武天皇像(Wikipediaより)

孝謙が道鏡擁立を主導したのなら、『続日本紀』の不可解な記述も説明がつきます。

同書は朝廷の正当性を示すために書かれた書物なので、称徳天皇が否定的に見えないよう配慮したとしても、おかしくはありません

■気を利かせたことによる「とばっちり」?

では、「道鏡を皇位につかせよ」という神託があったという神託事件も天皇が主導したのでしょうか。

その可能性も指摘されていますが、ここで注目したいのは別の説です。宇佐八幡宮が気を利かせて神託を出したのではないか、という説があるのです。

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道鏡の墓と伝えられる「道鏡塚」(下野市の龍興寺)

称徳が仏教を重んじて道鏡を非常に優遇していたことは、朝廷や寺社でも有名でした。そこで気を利かせた神託を出したのではないか、というわけです。

『続日本紀』にも、道鏡や天皇が神託を出すために裏工作をしたという記述はありません。
この記述が正しいと考えれば、失脚後に重罪にまでならなかったこともうなずけます。

道鏡にしてみれば、寺社が気を利かせてくれたおかげでかえって迷惑を被る結果になった、とばっちりのような事件だったのかも知れません。

参考資料:日本史の謎検証委員会・編『図解最新研究でここまでわかった日本史人物通説のウソ』彩図社・2022年

画像:photoAC,Wikipedia

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