錦絵(浮世絵)の絵師といえば、やはり鈴木春信です。明和2年~明和7年(1764~70)の6年間は、3日半に1枚描き上げるという、かなりのハイペースだったそう。
鈴木春信は錦絵(多色摺り)を大成させた人物ともされています。

浮世絵とは何なのか?錦絵との違いや版画ではない肉筆浮世絵など作品と共に紹介

そして彼が描くのは錦絵だけではありません。春画本は23冊もだしており、かなり仕事をしていたことが窺えます。

■鈴木春信の代表作「真似ゑもん」

春信が描いた初期の春本では、「風流艶色真似ゑもん」が有名です。豆粒のように小さくなった真似ゑもんという主人公が、いろんな人の情事をそっと覗くというもの。

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鈴木春信「風流艶色真似ゑもん 」まねへもん二

また、この艶色真似ゑもんの続編として予告されたものが、「まめすけ」といわれる春画です。
江戸庶民に親しまれた岡場所の、深川の色街をまめすけが探訪するというもので、これも春信らしい春本といえるでしょう。

小っさなおっさんが情事を覗くw 春画もスゴかった錦絵の先駆者・鈴木春信

小っさなおっさんが情事を覗くw 春画もスゴかった錦絵の先駆者・鈴木春信

小っさなおっさんが情事を覗くw 春画もスゴかった錦絵の先駆者・鈴木春信


錦絵ができる以前、黒摺りの春本でも「今様妻鏡(いまようつまかがみ)」や「源氏花月抄(げんじかげつしょう)」などが春信の作品として、知られています。

■春信のスポンサーとはどんな人?

実は、鈴木春信には、大久保甚四郎と阿部八之進というスポンサーがいました。彼らは、「金に糸目はつけないからとにかく見たこともないような豪華な浮世絵を作れ」と金銭的な支援を惜しみません。大久保は、三浦屋という吉原遊廓の楼主にまでなり、春信にに遊女たちのつぶさな仕草まで観察させたというから、相当な力の入れようだったのでしょう。彼らの存在があってこそ、春信は制作に没頭できたのかもしれませんね。


明和7年(1770年)6月、酒豪であったからか、突然この世を去ってしまった鈴木春信。彼の死後、北尾重政、春信の弟子だった磯田湖龍斎、鳥居清長など有名な浮世絵たちが、春信の画風を追っています。このことからも、多くの人に注目されていた絵師だったことがわかります。

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北尾重政 画

今もなお、国境や時代を超えて人々を惹きつける春画は、数多くの絵師によって誕生しました。鈴木春信も、もちろんその一人。ぜひ、鈴木春信の春画をご覧になってみてください。
きっと、春信ワールドに惹きこまれるはず。

参考文献:色くらべ浮世絵秘画, エロティック日本史

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