神社仏閣のプロモ?森鴎外の名作・山椒太夫を生んだ説経節。そもそも説経節とは何?
■弟を逃した安寿姫のその後は?
説経与七郎正本『さんせう太夫』(寛永16年頃)人買いによって船で丹後に運ばれる安寿姫と厨子王丸。 Image:Wikipedia
もう一人の主人公、厨子王丸の姉・安寿姫は、森鴎外の『山椒太夫』では弟を逃亡させる時間を稼ぐため自害する悲劇のヒロインでもありますが、説経節とそこから枝分かれした作品では異なった結末を迎えています。
一番ポピュラーなのは、厨子王に守り本尊の地蔵を託し、彼の逃亡を見届けてから帰った安寿が太夫らに成敗される話です。守りの力を持った宝を手放すというと、草薙剣を奥方に預けたために死を迎えた日本武尊(ヤマトタケル)を思い出しますが、彼女にも同様の運命が待っていたのです。
安寿が意図的に厨子王を逃がしたのを知った太夫とその息子である三郎は彼女を拷問責めにし、ついに死に至らしめてしまいます。
なお、安寿が辿った結末は地域や作者によってさまざま。
- 生き延びて佐渡に渡り、母に会うが信じてもらえず、棒で叩かれて死亡(佐渡)
- 厨子王と二手に分かれて逃げるが、疲労と飢餓が原因で亡くなる(京都府宮津市由良)
- 恋人や忠臣の尽力で存命し、ハッピーエンド(文楽・『由良湊千軒長者』)
■厨子王は無事に御家再興を果たすが…
さて、逃げた厨子王は国分寺の親切な僧侶の助けもあって都へと落ち延び、梅津の院という貴族に助けてもらいます。朝廷に訴えて父君の無罪を勝ち取り、没収された領土や官位も返還された厨子王は、母君も救い出してめでたく大団円となるのです。
そうした奇跡を呼んだ守り本尊を丹後の国に祀ったのが、金焼地蔵菩薩の始まりとして語られます。
このくだりは、鴎外版で出会う公卿が実在した関白・藤原師実だったり、父である平正氏が亡くなっているなどの差異はありますが、基本的なストーリーの流れは変わりありません。
最大の違いは丹後での厨子王の描写です。
■怒りの厨子王のお仕置きが過激過ぎる!

丹後の国司になった厨子王は山椒太夫一家を国分寺に招待し、姉を殺したことに一片の反省も見せない太夫らを叱責しつつも、寛大な姿勢を見せます。(安寿と厨子王に親切だった太郎と次郎は放免)
「恨みを報ずるのではなく、恩情で報いましょうぞ。大国と小国、どちらが欲しいかな?」
それに対して、国司に媚びて領土を貰おうとあらかじめ太夫と打ち合わせをしていた三郎が返答しました。
「我が家は子沢山だから、広い大国が欲しいです」
それを聞いた厨子王は、
「良かろう…では、広い黄泉の国(=死)を与えてやろうではないか!
と、山椒大夫に死刑判決を言い渡したのでした。それも、自分の子である三郎に竹のノコギリで首を斬られると言う残酷なもの。非道さでいえば三郎も負けていません。
「殿様も兄貴達も、自分の非は棚上げするとは卑怯だな!父上、この俺があの世に送ってあげましょう!」
…もはや、これでは太夫ではなく三郎が悪のラスボスでしかありませんね。しかしその後、ふてぶてしい捨て台詞を吐いて父を処刑した三郎も、同じ方法で処刑されたのでした。
■今でも現代人の心に響く説経節
どうでしたか?鴎外版では厨子王の圧力に屈して渋々奴隷を開放し、最終的には改心した山椒太夫と三郎ですが、原作では徹底的に成敗され、厨子王らを売り飛ばした裏切り者の山岡太夫も厨子王達によって倒されます。
一方、良心的な太郎は出家し、心優しい次郎は太夫の後継者として領土と位を厨子王から賜って立派な領主になるので、説経節が因果応報と勧善懲悪を説いた仏教的なものであったことを改めて感じさせるものですね。

なお、森鴎外の『山椒太夫』は青空文庫で読むことが出来ます。子供時代を懐かしみたい方はもちろん、まだ読んでいないという方も楽しめます。
また、鴎外版が書かれるきっかけとなった説経節を詩人の伊藤比呂美さんが手掛けた現代語訳がインターネットで公開されていますので、興味のある方はご観賞してみては如何でしょうか?
- 伊藤比呂美【説経節】
- 青空文庫:森鴎外 山椒大夫
日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan