■留学生に抜擢!青年文人、憧れの遣唐使に同行する
阿倍仲麻呂
阿倍仲麻呂は文武天皇2年(698年)、安倍船守の長男として大和国(現在の奈良県)に生まれました。子供の頃から学問に優れていた仲麻呂は霊亀3年・養老元年(717年)に第9回目の遣唐使に、留学生(るがくしょう)として同伴します。
この頃、中国を支配していた唐王朝は世界最高峰の文化・技術を誇る大国であり、我が国でも多くの学生が使節団である遣唐使に随行し、最先端の学問を学ぶことを夢見ていました。恐らくは仲麻呂もそうした青年文人の一人として、参加できることに決まった時はさぞ嬉しかったことでしょう。
![波乱万丈の生涯!映画「空海-KU-KAI-」に登場する阿倍仲麻呂ってどんな人?[前編]](http://imgc.eximg.jp/i=https%253A%252F%252Fs.eximg.jp%252Fexnews%252Ffeed%252FJapaaan%252FJapaaan_69537_3.jpg,quality=70,type=jpg)
歌川国芳「百人一首之内 安倍仲麻呂」
仲麻呂の学問は中国大陸でもいかんなく発揮され、唐の太学※で学んだ彼は科挙(かきょ)と言う試験で合格し、宮廷に召し抱えられたと伝えられます。この科挙は、経典や詩文に精通したインテリが挑戦する競争率の非常に高い試験で、これに合格したのだから仲麻呂の博識ぶりがうかがえるエピソードでもあります。
※たいがくと読む。中国などアジア諸国で設けられた官僚育成の公立学校
■親友は大詩人李白。仲麻呂、ついには皇帝からも寵愛を受ける
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李白
唐の宮廷に仕えることとなった仲麻呂を寵愛したのが、時の帝・玄宗(げんそう)です。楊貴妃にのめり込んで国政を混乱させたことで有名な皇帝ですが、外国人に対しても偏見を持たず、仲麻呂の人柄と才覚を高く評価した度量の大きさも兼ね備えていました。
そのため、仲麻呂は皇居に勤務する名高い文人達と交際することができ、その中には教科書でもおなじみの詩人・李白がいます。
唐に残って栄達を極めようとする姿勢、特に朝衡(ちょうこう)と言う唐名までも名乗って仕官したため、仲麻呂は日本の仲間と疎遠になったと思われがちです。しかし、遣唐使が遭難して戻った時には彼らのために便宜を図るなど、祖国を忘れてはいませんでした。
このようにして大活躍を続ける阿倍仲麻呂ですが、彼の行く手には悲しい未来が待っていました。後編では、それをお話しましょう。
画像:Wikipediaより
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