今も昔も大事な生活必需品の紙。鼻をかむ、字を書く、お手洗いに使うなど、欠かせないアイテムですね。
江戸時代には古紙の再生が盛んになり、京の「西洞院紙」、大坂の「湊紙」などと並び、江戸では「浅草紙」が有名になりました。ちなみに、塵(ごみ)になるものを紙にすることから、別名塵紙(ちりがみ)とも呼ばれました。

この浅草紙、「冷やかし」という言葉の語源でもあり、おにぎり・手巻き寿司でお馴染みの四角い海苔、板海苔(乾燥海苔)の原型にもなったんです。

■吉原での暇つぶしが「冷やかし」に

そもそも「冷やかす」とは、煮た紙を冷ましたり、水槽に古紙を入れて水を含ませ軟らかくする工程のこと。その紙が軟らかくなるのに二、三時間はかかったといい、その間、職人は紙を漉くことができないので暇になっちゃうんですね。

その間何をしたかというと、浅草から近い吉原へ。
しかし、仕事中ですし遊女を買う時間はありません。職人がしょっちゅう遊べる金銭的余裕もないことでしょう。そこで、格子越しに遊女の顔を眺めたり、話しかけたりして楽しみ、そのまま帰ってしまうというわけです。

この、買う気も無いのに吉原をぶらぶらする行為から「ひやかす」という言葉が生まれたと言われています。

「あら、あの男また来たよ」
「あの人は金にならないよ。紙を冷やかしてる間に来てるだけなんだから」なんて遊女の声が、聞こえてきそうです。


乾燥海苔のルーツは紙にあり。「冷やかし」の語源にもなった浅草...の画像はこちら >>


ひやかし鯰『江戸大地震之絵図』より

■浅草紙が乾海苔の原型に

江戸前の名産品の一つ「浅草海苔」。徳川家康が江戸入りした頃は浅草寺門前で採れたものを売っていましたが、埋め立てなどで浅草で採れなくなってからは、品川・大森界隈で養殖したものを浅草に運ぶようになりました。

当時は生海苔が主流でしたが、大森村の野口六郎左衛門という者が浅草紙を作る手法を真似、乾燥海苔を生み出したと言われています。海苔簀(す)を使い、海藻を紙のように漉いて四角く整え、「板海苔」として売り出したというわけです。

ですので、海苔の寸法は浅草紙が元になっており、江戸時代は八寸×七寸五分(24.2cm×22.7cm)。現在は21cm×19cmと少し小さく、メーカーによって多少のばらつきがあるようです。


現代では大森の海岸線は埋め立てられて、海苔の養殖はなくなってしまいましたが、京急大森海岸駅~大森付近では、まだ海苔の問屋さんがありますし、もちろん浅草界隈にも海苔屋さんがあります。

乾燥海苔のルーツは紙にあり。「冷やかし」の語源にもなった浅草紙とは?


江戸名所図会「品川」より

ちなみに当時養殖されていたアサクサノリという品種は痛みやすく、昭和30年代別頃からスサビという品種にとって変わられてしまったそうです。しかしアサクサノリの方が一般的に香り高く美味だったということで、本物のアサクサノリは高級品に。

現在、一般的に「浅草海苔」と呼ぶ商品には、本物のアサクサノリを使った焼き海苔は少ないそうです。

紙と海苔の意外な関係、いかがでしたか。意外なところにルーツが隠されているものですね。


参考資料:大江戸見聞録、海苔 (ものと人間の文化史)

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