旧幕府軍と新政府軍による戦いの戊辰戦争。その初戦となったのが1868(慶長4)年の鳥羽伏見の戦いですが、この戦いで新政府側が「錦の御旗」を掲げたことで旧幕府軍はその瞬間に賊軍となってしまいました。
錦の御旗、略して錦旗(きんき)とも呼ばれますが、これは何を示しているかというと、天皇に「朝敵を討て」と命を受けた軍である、という証なのです。つまり、錦の御旗を掲げた新政府軍は官軍。

戊辰戦争(1868)の際、官軍が用いた錦旗の精密な模写図
戦っていた兵たちはそれを見てたじろいてしまいました。それはそうです。錦の御旗には天皇家の印である菊の御紋が金色で描かれているのです。それを掲げた組織を攻撃するということは天皇を攻撃するということ。
これには徳川慶喜もショックを受け、戦意喪失。戦う旧幕府軍を置いて江戸へ逃げ帰ります。慶喜自身、水戸徳川の出身であり、天皇への忠誠心はとても強かったと言われています。過去には、御所に向かって砲撃したとして長州を討伐しています。今度は自分が討伐される側になったのです。
もちろん勝敗を決めたのは錦の御旗だけの力ではありませんが、これがあったことにより旧幕府軍がひるみ弱体化したのは事実でしょう。
■後鳥羽上皇が朝敵討伐のために与えた旗
この錦の御旗、いったい何なのか。天皇が朝敵討伐のために対象に与えるものとして古くからあった慣習のようですが、歴史上では後鳥羽上皇が承久の乱の際に与えた御旗が最初だと言われています。
ひとつの錦の御旗がずっと受け継がれていたわけではなく、ただ伝説のように語り継がれていたもののようです。デザインにはとくに決まりがなく、赤地の錦に金銀で日月を刺しゅうしたり描いたりするのがよくあるスタイルでした。
日月の二種類で一組の旗です。
■岩倉具視が指揮して大久保利通に作らせた偽物?
大河ドラマ「西郷どん」でも岩倉具視が大久保利通に命じて作らせた様子が描かれていましたね。
鳥羽伏見の戦いで使われた錦の御旗はもともと用意されていたもので、1月4日に掲げられました。ドラマで描かれていたように、岩倉具視が大久保や長州の品川弥二郎に「ちょっと錦の御旗作っといてよ」と言って作らせたのだそう。
戦場では一カ所ではなく数カ所で掲げられたので、御旗はかなり量産されていたことになります。
上記のように天皇ではなく岩倉具視が作らせた、ということから「偽物ではないか」という疑問は古くからあったようです。
しかし、きちんと朝廷の許可を取ってから掲げているので、あれは本物。やったもん勝ち、という感じでセコい策のように思えますが、「勝てば官軍」なのです。
画像出典:戊辰所用錦旗及軍旗真図4
錦の御旗(にしきのみはた)
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