全国の渡辺さん注目!今も残る「渡辺」という名字のルーツになった土地!
よく見かける名字「斎藤(さいとう)さん」は日本全国に約54.6万人いるそうですが、これは日本人の1,000人に4人(約0.4%)が「斎藤さん」になる計算です。
※日本の人口:約1億2633万人(統計局ホームページ/2019年2月推計値)
さて、そんな斎藤さんですが、そのルーツは平安時代(10世紀ごろ)、藤原叙用(ふじわらの のぶもち)が伊勢の斎宮(さいくうorいつきのみや)にお仕えしたことに由来しています。
イメージ(伊勢の神宮)
「斎宮に仕えた藤原氏」だから、略して斎藤……他にも「佐藤」「加藤」「伊藤」など「~藤」とつく名字は、藤原氏と密接な関係にあります。
ちなみに斎宮とは、伊勢の神宮(じんぐう。いわゆる伊勢神宮)にお仕えする未婚の皇族女性(斎王。さいおうorいつきのきみ)とそのお住まいとなる宮殿を指します。
叙用が斎宮頭(さいくうのかみ)としてお仕えしたのは、一説に西暦950年ごろ、村上天皇の御代、斎王は悦子(よしこ。醍醐天皇の皇孫)女王の年代と考えられています。

歌川貞重「平新王将門」江戸時代より。乱の猛威は東国を震撼せしめた
この頃は平将門の乱が終息(天慶三940年)して10年が経ってもその余波が収まらず、将門の本拠地であった坂東(現:関東地方)は元より、周辺地域でも混乱が続いていました。
伊勢国(現:三重県の大部分)でも情勢が不安定だったため、武勇名高い叙用に白羽の矢が立ったものと考えられます。
(本来、斎宮頭は文官ですが、いざ有事に斎王らの身辺警護や治安維持といった武官的な役割も期待されていたのでしょう)

菊池容斎『前賢故実』より、藤原利仁肖像。明治時代
叙用の父・藤原利仁(ふじわらの としひと)は、平将門の乱を鎮圧した藤原秀郷(ふじわらの ひでさと)と双璧をなす武人・軍事貴族として知られ、越後国敦賀(現:福井県敦賀市)を本拠地として、北陸地方に一大勢力を築き上げていました。
『今昔物語集』でのエピソードや、それを元にした芥川龍之介の小説『芋粥』にも登場する有名人ですが、叙用もまた、そんな父に恥じない武勇が高く評価されたのでしょう。
以上「斎藤さん」のルーツについてまとめると、以下の通りです。
- 平安時代、10世紀ごろに起こったと考えられる
- 藤原叙用が斎宮頭になったことを記念して名乗った
- 名字の由来を知ることで、ご先祖様から自分に受け継がれた歴史が、命の重みとして感じられるのではないでしょうか。
■あなたはどの「サイ」藤さん?
ところで「サイトウさん」と言えば、電話口でよく「簡単な方のサイ(斉)」とか「難しい方のサイ(齋)」と言ったやりとりが聞かれますが、斎藤さんの「サイ」と言えば、色んな漢字が使われていることで知られ、実に31種類に及びます。

色んな「サイ」藤さんの字体一覧。Wikipediaより。
「サイ」藤の字は最もシンプルな8画から複雑な15~16画まで様々ですが、その字源は「作物を刈り取る」事から「(刈り取られた後の高さが)ひとしい」という意味と「(刈り取った作物を神様にお供えする)いつく・いつき」という意味に分かれました。
漢字の下部分に神様や祭祀を表わす「示」があれば「いつき」、なければ「ひとしい」と思っておけば大丈夫ですが、結局どれも「サイトウさん」なので、あまり関係ないかも知れませんね。
※参考文献:榎村寛之『斎宮―伊勢斎王たちの生きた古代史』中公新書、2017年9月25日発行
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