V6の解散はビックリしました。ジュンイチから何も聞いていなかったんで……。

あ、ごめんなさい! 岡田くんね! 実は去年、岡田くんから共通の友達経由で電話がかかってきて。それから僕は勝手にジュンイチって呼んでいるんです。でも今回、電話はなくて(笑)。あのとき、教えてくれてもよかったのに!」

こう話すのは、軟式globeのパークマンサー(42)だ。マークパンサーならぬ“パークマンサー”と、KEIKOならぬ“KOIKE”の2人組ユニット・軟式globe。02年6月、V6の冠番組『学校へ行こう!』(TBS系)の人気コーナー『B-RAP ハイスクール』で衝撃的なデビューを果たした。

当時、『学校へ行こう!』は視聴率約20%を記録するTBSきっての看板番組だった。そこで彼らはglobeの『Love again』のメロディに乗せ「アホだな~」「そうだよアホだよ♪」というサビの掛け合いをして大ブレーク。クセの強いリリックと強烈なビジュアルで、出演のたび話題をさらっていった。

あれから約19年。3月12日に、V6が解散を発表した。パークはこう思いを語る。

「番組の出演時は、V6の皆さんのリアクションを見て『次はこうしようかな』と試行錯誤を繰り返していました。だからV6は、パークマンサーを一緒に作り上げてもらった存在ともいえます。感謝の気持ちでいっぱいですね」

また2月26日には、“本家”であるglobeのKEIKO(48)と小室哲哉(62)が離婚を発表した。

「本家のマークパンサーさん(51)は再始動について、『音楽とプライベートは別物だから』とおっしゃっていました。僕もそう思いますし、個人的には軟式globeに参加してもらうのもアリなんじゃないかなと……。あ、余計なことを言うのはやめておきます(笑)」

奇しくもV6とglobeは95年デビュー組で、25周年イヤーの真っ只中。

そして両者ともに、節目の年で新たな道を歩むと発表した。「偶然とはいえ、裏の意味で“時の人”ですね」と記者が聞くと、「そろそろ表に出たいっすね、アッハッハ!」とパークは大笑い。以前よりも、顔つきがどこか健康的に見える。

上戸彩に振り付けを教えていたダンサー時代

パークは、もともとダンサーだった。EXILEや三代目 J SOUL BROTHERSなどの人気アーティストを擁するLDHに、前身会社の立ち上げから参加。上戸彩(35)がアイドルグループ・Z-1に所属していたころ、振り付けを教えていたという。

「僕は全然、おもしろキャラじゃなかったんです。地元の富山でダンスをしていて、上京して。通っていたダンススクールの師匠がLDHの前の事務所を立ち上げて。師匠はHIROさん(51)の弟分で。それでHIROさんに師匠のモノマネをしたら、『すげー面白いじゃん!』って。

当時の僕は、ダンスのオーディションに落ちてばかりでした。

でもHIROさんが笑ってくれたことで、『認められた!』と思って。居場所を見つけたんです。ちょうどその頃『学校へ行こう!』のオーディションがあって、勢いで受けたら合格しました」

『学校へ行こう!』出演時を回想し、「当時は僕が出演すると、瞬間視聴率が5%も動いていたらしいです(笑)。地方営業とかしていたら、億プレイヤーになっていたと思います」とパークは話す。

しかし彼は『B-RAP』が終わると、俳優の道へ。

「月9に3年連続で出演しました。

でも、セリフが5行とかなんですよ(笑)。他にもエキストラをしたり、劇団に入ったり。でも役者だけでは食っていけない。稽古して、バイトしてっていうのを11年間、繰り返していました」

すると、15年に転機が訪れた。『学校へ行こう!』スペシャルで軟式globeが登場したところ、ネット上でバズったのだ。

「レギュラー放送のときと違ってSNSを通して直接、反応を見ることができたんです。それが嬉しくて。Twitterのフォロワー数も2万人以上増えましたし、1年くらい営業で食いつなぐこともできました」

しかし、喜びも束の間。次第に思い悩むようになっていったという。

「営業のギャラ単価が良かったので、仕事を2本するだけで1カ月は暮らせたんです。でも僕のやってることって、“出オチ”と一緒。1回やれば300人集まるけど、それでおしまい。やればやるほど、そのことを痛感していくんです」

実際、仕事量は激減。働くのは月1日だけで、後の30日は“暇つぶし”という日々が続いた。

「精神的に病みましたね。自分磨きとか、何をする気にもなれなくて……。ずーっと寝転がって、韓流ドラマを観ていました」

そんなある日、陶芸にチャレンジしたパーク。ふと、「このお皿に乗せる野菜を作りたい」と思いついた。

そこで農業に目覚め、富山へUターン。現在は、生計の大半を農家として立てているという。

■「ずっとパークマンサーが大嫌いだった」

急な転身だが、パークは「本格的にスタートして2年目。さっきもトラクターを動かしていました。今は、ケールを育てたりニンニクを定植するための土を耕しています」と笑顔を見せる。

「金銭的にも精神的にも、今が人生で一番安定しています。やっぱり農業の力が大きいと思いますね。正直、『もっと野菜を売らないと』『僕だからできることって何だろう』と悩んだりもします。でも韓流ドラマばかり観ていたころは、考えたり行動したりってできなかった。だから今は、毎日が楽しいです」

実は、「ずっと、パークマンサーとしての自分が大嫌いだった」という。

「どこに行ってもパークマンサーを求められて。それが苦しかった」

しかし、農業をしているうちに「パークのことがちょっと好きになってきた」とも語る。

「僕、パークの『そうだよアホだよ♪それがっどうしたアホだよ♪』というセリフが大好きなんですね。これは僕にとってLet it beやケセラセラと一緒。天才バカボンでいうと『これでいいのだ』なんです。農業って、うまくいかないことがいっぱいで。だからこそ、そう気づいたんです。

これまで紆余曲折ありました。ダンサーやってパークやって、役者もやって、病んでしまって。『アホだな』と思うけど、『そうだよアホだよ♪』って開き直るとラクなんですよね。この年になって『パークに教えられたな』と思います。『今まで嫌いでごめんね』って感じですよ」

このコロナ禍、TikTokで新ネタを披露したパーク。そしてV6の解散発表時、《最後に絶対V6と共演しなきゃ。学校へ行こう! やりましょうよ》《目一杯のアリガトウを込めて最高にアホに送り出すから言っちゃうアホだよ♪》とTwitterにつづっていた。

「V6やglobeの皆さんのお陰で、パークマンサーは生まれました。みんなかけがえのない、大切な人たちです。もし『学校へ行こう!』のフィナーレがあるなら、ぜひ出演したい。そうしたら、最高の『そうだよアホだよ♪』をお聞かせしますよ!」