12月1日、愛子さまが成人を迎えられた。天皇家の皇族が成人を迎えるのは、黒田清子さん以来32年ぶりの慶事。
【’02年】
那須御用邸でご静養中、沼ッ原湿原へ。遊歩道で休む家族と笑顔で交流されていた。
【’03年】
葉山御用邸裏の一色海岸をご散策。雅子さまが見つけられたトンビを一緒にご覧に。
【’04年】
天皇陛下と手をつながれて東宮御所で沖縄豆記者にご接見。
【’06年】
大相撲の大ファン。両国国技館で秋場所の初日をご観戦。
【’08年】
真新しい制服に赤いスカーフを巻き、学習院初等科の入学式へ。初等科へは徒歩で通学された。
【’09年】
ベトナムから帰国の天皇陛下をお出迎え。
【’12年】
初等科5年生、管弦楽部ではチェロを担当されていた。
【’12年】
11歳のお誕生日。学校でのクラブ活動はバスケットボール。
【’13年】
6年生。膝にばんそうこうを貼りながら組み体操を披露。ピラミッドでは下の段を担われた。
【’14年】
初の伊勢神宮ご参拝。緊張の面持ちで内宮の参道を進まれた。
【’14年】
祖父母・上皇ご夫妻の傘寿を記念した展覧会をご一家で。
【’16年】
ネパール大地震復興支援チャリティ試写会で岡田准一氏と。
【’16年】
15歳のお誕生日写真。
【’19年】
スキー場に向かわれるJR長野駅で、地元の人たちと自然な笑顔でご歓談を。高校生のころから国民との距離が近くなられた。
【’20年】
学習院大学文学部日本語日本文学科へご入学。コロナ禍のため10月に初登校となった。
【’20年】
19歳の誕生日写真は愛犬の由莉と。保護された犬や猫を大切にお育てになっている。
【’21年5月6日】
ボブカットにされ久しぶりの外出。幼いころ乗られていた愛馬に会うため皇居をお訪ねに。
【’21年9月6日】
両陛下と暮らしてきた赤坂御所を出て皇居へお引っ越し。新御所で初の誕生日を迎えられる。
■皇室への敬愛を担う愛子さまのご成長(『女性自身』皇室担当記者・近重幸哉)
20歳のお誕生日をお迎えになる愛子さま。
その前日、愛子さまのお名前が決められる「命名の儀」があり、宮内庁の総務課長が「12月1日ご誕生になった内親王殿下は、御名を愛子と命ぜられ、敬宮と称されます」と発表した。
お名前の出典は『孟子』の「離婁章句下」からで、広く人間社会で修養すべき基本的道徳を述べ、敬と愛の大切さを説いている一節と説明された。
お名前どおりのお心は、成年皇族になるとお着けになるティアラなどの宝飾品を、コロナ禍の国民生活を憂慮され新調せず、叔母の黒田清子さんから借りられることにも感じられた。
さらにこのお心は高校生となられてからの、お出かけ先のお姿にもうかがえる。幼いころは人前が苦手なご様子だったが、成長されてからは、両陛下がご静養先などの駅頭で多くの人々と交流される場面でも、愛子さまに落ち着きを感じるようになった。
たとえば雅子さまが高齢の方たちとお話しされていると、そのそばにいらっしゃり、会話を優しいご表情でお聞きになっているのだ。こうしたご様子から、周辺の人たちにも、愛子さまのお人柄、お気持ちの優しさが伝わっていく。それが令和の皇室への敬愛につながっていくのだ。
コロナ禍が明け、愛子さまの成年皇族としてのご活動が始まると、いっそう敬いの輪が広がっていくに違いない。